近畿日本鉄道の発足後
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「近鉄名古屋線」の記事における「近畿日本鉄道の発足後」の解説
1944年(昭和19年)6月1日:関西急行鉄道が南海鉄道と合併、近畿日本鉄道設立。関急名古屋駅を近畿日本名古屋駅に、関急八田駅を近畿日本八田駅に、関急蟹江駅を近畿日本蟹江駅に、関急弥富駅を近畿日本弥富駅に、関急長島駅を近畿日本長島駅に、関急富田駅を近畿日本富田駅に改称。 1945年(昭和20年)6月1日:黄金駅・町屋駅・西町駅休止。 7月24日:太平洋戦争下の空襲により、揖斐・長良川橋梁が爆撃され不通に。関西本線を代替線として用いるため、連絡線を設けた上で同線を一時的に電化。 11月25日:揖斐・長良川橋梁の不通のため、一時関西本線に乗り入れ運転開始。 1946年(昭和21年)5月1日:揖斐・長良川橋梁復旧(関西本線に乗り入れ運転廃止)。 6月17日:津新町駅 - 久居駅間に二重池信号場開設。 6月27日:二重池信号場 - 久居駅間複線化。 7月13日:富洲原駅(現在の川越富洲原駅) - 伊勢朝日駅間の川越駅廃止。富洲原駅移転。 1947年(昭和22年)3月1日:休止していた黄金駅営業再開。 3月14日:休止していた町屋駅(益生駅 - 伊勢朝日駅間)、西町駅(川原町駅 - 諏訪駅間)を廃止。 10月8日:大阪 - 名古屋間特急運転開始。 1948年(昭和23年)7月21日:揖斐川分岐 - 播磨川分岐間を複線化。 9月1日:近畿日本長島駅 - 桑名駅間の揖斐川駅休止。 1950年(昭和25年)。6月5日:羽津駅を霞ヶ浦駅に改称。 8月4日:名古屋鉄道との団体臨時列車相互直通運転実施(1952年9月30日まで)。 1952年(昭和27年)10月31日:鹿化川分岐(信号場、新設) - 海山道駅間0.1km短絡工事完成、同区間を複線化。 1953年(昭和28年)9月15日:津新町駅 - 二重池信号場間複線化、二重池信号場廃止。 1955年(昭和30年)7月15日:逆川分岐 - 高田本山駅 - 江戸橋駅間の経路変更・複線化。0.5km短縮。逆川分岐信号場廃止。 1956年(昭和31年)9月23日:川原町駅 - 諏訪駅 - 四日市駅(国鉄四日市駅の前) - 鹿化川分岐間を、川原町駅 - 近畿日本四日市駅 - 鹿化川分岐間の新線に切り替え。1.1km短縮。鹿化川分岐信号場廃止。 1959年(昭和34年)9月19日:揖斐・長良川橋梁架け替え。近畿日本長島駅 - 揖斐川分岐間を複線化 し、揖斐川分岐信号場を廃止。 9月26日:木曽川橋梁架け替え。木曽川分岐 - 近畿日本長島駅間を複線化 し、木曽川分岐信号場廃止。同日、伊勢湾台風により全線が被災し、不通に。 9月28日:近畿日本四日市駅 - 津新町駅間が復旧。 9月29日:近畿日本名古屋駅 - 近畿日本八田駅間が復旧。 9月30日:近畿日本八田駅 - 伏屋駅間、富洲原駅 - 近畿日本四日市駅間、津新町駅 - 伊勢中川駅間が復旧。 10月1日:桑名駅 - 富洲原駅間が復旧。 10月15日:伏屋駅 - 近畿日本蟹江駅間が復旧。 11月8日:近畿日本長島駅 - 桑名駅間が復旧。 11月19日:標準軌化本工事開始。久居駅 - 伊勢中川駅間を標準軌に改軌。なお、これに先立つ改軌準備工事の際に、重量級の大阪線車両が入線可能となるように、路盤の強化も実施された。 11月20日:江戸橋駅 - 久居駅間を標準軌に改軌。 11月21日:豊津上野駅 - 江戸橋駅間を標準軌に改軌。 11月22日:白子駅 - 豊津上野駅間を標準軌に改軌。 11月23日:塩浜駅 - 白子駅間を標準軌に改軌。 11月24日:近畿日本四日市駅 - 塩浜駅間を標準軌に改軌。 11月25日:富洲原駅 - 近畿日本四日市駅間を標準軌に改軌。 11月26日:近畿日本長島駅 - 富洲原駅間を標準軌に改軌、播磨川分岐 - 桑名駅間を複線化、播磨川分岐信号所廃止。 11月27日:近畿日本名古屋駅 - 近畿日本蟹江駅間が標準軌に改軌されると同時に、近畿日本蟹江駅 - 近畿日本長島駅間が標準軌で開通、全線復旧・標準軌化が完成。
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