辰馬鎌蔵とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 辰馬鎌蔵の意味・解説 

辰馬鎌藏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/29 01:58 UTC 版)

辰馬 鎌藏辰馬 鎌蔵、たつうま けんぞう、旧姓・中尾1882年明治15年)2月[1] - 1959年昭和34年)5月11日[2])は、日本土木技術者内務技監[3][4]実業家土木学会会長。

人物

大阪府・中尾又一郎の五男[1][3][4]。兵庫県西宮の酒造家辰馬悦蔵先々代悦叟の養子となり、1912年分家する[1][3][4]

1907年京都帝国大学理工科大学土木工学科卒業[1][5]。内務技手となり1909年、内務技師に任じ、大阪、下関、東京各土木出張所勤務を経て1924年、欧米各国へ出張を命ぜられる[1]。帰朝後名古屋土木出張所長、東京土木出張所長を経て1936年、内務技監に任ぜられ[4]1939年、退官する[1]

退官後、広島工業港、東京都水道、鳥取市兵庫県等の顧問として指導にあたる[2]1951年、共栄興業会社を創立し、社長となる[2]。住所は東京都渋谷区[3]

家族・親族

辰馬家
親戚

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第13版 下』タ220頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月29日閲覧。
  2. ^ a b c 土木学会歴代会長紹介、公益社団法人 土木学会公式サイト。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 下』タ222頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月29日閲覧。
  4. ^ a b c d e 『人事興信録 第11版 下』タ293-294頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年6月30日閲覧。
  5. ^ 『京都帝国大学一覧 明治41-42年』各分科大学卒業生340頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月25日閲覧。

参考文献

  • 『京都帝国大学一覧 明治41-42年』京都帝国大学、1898 - 1912年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937 - 1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「辰馬鎌蔵」の関連用語

辰馬鎌蔵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



辰馬鎌蔵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの辰馬鎌藏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS