輪・湖時代とは? わかりやすく解説

輪湖時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 16:23 UTC 版)

輪島大士」の記事における「輪湖時代」の解説

昭和大横綱と言われ北の湖とは通算成績2321敗、優勝輪島5回、北の湖5回と「輪湖時代」(りんこじだい)を築く。また、1973年11月場所では一場15日になった以降唯一の休場しながらの優勝12勝2敗1休)という記録を持つ。1976年1977年12場所のうち、輪湖両横綱による千秋楽相星決戦4度1976年1月1976年11月1977年1月1977年11月)、両者優勝圏内による対決3度1976年5月1976年7月1977年7月その結果優勝決定戦1度1976年5月))。 1976年から1977年2年間の輪島北の湖成績下記の通り 場所輪島成績北の湖成績優勝力士備考1976年1月場所 12勝3敗 13勝2敗 北の湖 千秋楽2敗同士相星決戦で、北の湖勝利1976年3月場所 13勝2敗 10勝5敗 輪島 千秋楽対戦は、輪島勝利1976年5月場所 13勝2敗 13勝2敗 北の湖 千秋楽輪島2敗、北の湖1敗で対戦輪島勝利優勝決定戦は、北の湖勝利1976年7月場所 14勝1敗 12勝3敗 輪島 千秋楽輪島1敗、北の湖2敗で対戦輪島勝利1976年9月場所 12勝3敗 10勝5敗 魁傑 千秋楽対戦は、輪島勝利1976年11月場所 13勝2敗 14勝1敗 北の湖 千秋楽1敗同士相星決戦で、北の湖勝利1977年1月場所 13勝2敗 12勝3敗 輪島 千秋楽2敗同士相星決戦で、輪島勝利1977年3月場所 12勝3敗 15勝0敗 北の湖 千秋楽対戦は、北の湖勝利1977年5月場所 11勝4敗 12勝3敗 若三杉(後の若乃花2代)) 千秋楽対戦は、北の湖勝利1977年7月場所 15勝0敗 13勝2敗 輪島 千秋楽輪島全勝北の湖1敗で対戦輪島勝利1977年9月場所 10勝5敗 15勝0敗 北の湖 千秋楽対戦は、北の湖勝利1977年11月場所 14勝1敗 13勝2敗 輪島 千秋楽1敗同士相星決戦で、輪島勝利1976年輪島7713敗(優勝2回)、北の湖7218敗(優勝3回1977年輪島7515敗(優勝3回)、北の湖8010敗(優勝2回) このように1976年1977年2年12場所間で、輪湖両横綱千秋楽結びの対戦で、両者とも優勝圏内での対戦7度実現したそのうち相星決戦4度である)。また、1974年昭和49年7月場所も、千秋楽輪島2敗、北の湖1敗(当時大関)で対戦実現(この時は、輪島勝利優勝決定戦輪島制し逆転優勝北の湖は場所後に横綱昇進する)。 このころ両者取り組みは、右で絞って北の湖強引な上手投げ打たせ下手投げ打ち返すかまたは右前廻し引きつけ北の湖腰を伸ばすのが輪島の勝ちパターン北の湖左下手廻しを引き、ガップリ四つになって胸を合わせるのが北の湖の勝ちパターンであった1977年7月場所には1差で追う北の湖退けて3度目全勝優勝同年11月には相星北の湖電光石火の切り返し降し大鵬次ぎ双葉山と並ぶ当時史上第2位12優勝記録する1975年9月1978年1月までの15場所間は、千秋楽結びの一番は、全て輪島-北の湖という対戦であり、千秋楽結び対戦連続回数15回は史上1位である。

※この「輪湖時代」の解説は、「輪島大士」の解説の一部です。
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