輪湖時代
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「昭和の大横綱」と言われた北の湖とは通算成績は23勝21敗、優勝は輪島5回、北の湖5回と「輪湖時代」(りんこじだい)を築く。また、1973年11月場所では一場所15日制になった以降で唯一の、休場しながらの優勝(12勝2敗1休)という記録を持つ。1976年・1977年は12場所のうち、輪湖両横綱による千秋楽相星決戦が4度(1976年1月、1976年11月、1977年1月、1977年11月)、両者優勝圏内による対決が3度(1976年5月、1976年7月、1977年7月、その結果優勝決定戦が1度(1976年5月))。 1976年から1977年の2年間の輪島、北の湖の成績は下記の通り 場所輪島成績北の湖成績優勝力士備考1976年1月場所 12勝3敗 13勝2敗 北の湖 千秋楽2敗同士相星決戦で、北の湖勝利。 1976年3月場所 13勝2敗 10勝5敗 輪島 千秋楽対戦は、輪島勝利。 1976年5月場所 13勝2敗 13勝2敗 北の湖 千秋楽輪島2敗、北の湖1敗で対戦。輪島勝利。優勝決定戦は、北の湖勝利。 1976年7月場所 14勝1敗 12勝3敗 輪島 千秋楽輪島1敗、北の湖2敗で対戦。 輪島勝利。 1976年9月場所 12勝3敗 10勝5敗 魁傑 千秋楽対戦は、輪島勝利。 1976年11月場所 13勝2敗 14勝1敗 北の湖 千秋楽1敗同士相星決戦で、北の湖勝利。 1977年1月場所 13勝2敗 12勝3敗 輪島 千秋楽2敗同士相星決戦で、輪島勝利。 1977年3月場所 12勝3敗 15勝0敗 北の湖 千秋楽対戦は、北の湖勝利。 1977年5月場所 11勝4敗 12勝3敗 若三杉(後の若乃花(2代)) 千秋楽対戦は、北の湖勝利。 1977年7月場所 15勝0敗 13勝2敗 輪島 千秋楽は輪島全勝、北の湖1敗で対戦。輪島勝利。 1977年9月場所 10勝5敗 15勝0敗 北の湖 千秋楽対戦は、北の湖勝利。 1977年11月場所 14勝1敗 13勝2敗 輪島 千秋楽1敗同士相星決戦で、輪島勝利。 1976年=輪島:77勝13敗(優勝2回)、北の湖72勝18敗(優勝3回)1977年=輪島:75勝15敗(優勝3回)、北の湖80勝10敗(優勝2回) このように、1976年〜1977年の2年12場所間で、輪湖両横綱が千秋楽結びの対戦で、両者とも優勝圏内での対戦が7度実現した(そのうち、相星決戦は4度である)。また、1974年(昭和49年)7月場所も、千秋楽輪島2敗、北の湖1敗(当時大関)で対戦が実現(この時は、輪島勝利。優勝決定戦も輪島が制し逆転優勝、北の湖は場所後に横綱昇進する)。 このころの両者の取り組みは、右で絞って北の湖に強引な上手投げを打たせ、下手投げを打ち返すかまたは右前廻しを引きつけて北の湖の腰を伸ばすのが輪島の勝ちパターン。北の湖が左下手廻しを引き、ガップリ四つになって胸を合わせるのが北の湖の勝ちパターンであった。1977年7月場所には1差で追う北の湖を退けて3度目の全勝優勝、同年11月には相星の北の湖を電光石火の切り返しで降し、大鵬に次ぎ双葉山と並ぶ当時史上第2位の12回優勝を記録する。 1975年9月〜1978年1月までの15場所間は、千秋楽結びの一番は、全て輪島-北の湖という対戦であり、千秋楽結び対戦連続回数15回は史上1位である。
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