転炉法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:49 UTC 版)
転炉(転炉製鋼法)は1856年にイギリスの発明家ヘンリー・ベッセマーが開発した。彼の名を取ってベッセマー法と名づけられた本技術によって初めて鉄鋼の大量生産が可能となった。このベッセマー転炉においては、珪石製の煉瓦を内部に張った炉に銑鉄を入れ加熱空気を送ると不純物や余分な炭素が燃焼(酸化)して除去できる。この方法によって20トンの製鉄を30分以下で行うことが可能となった。発明当初の技術ではリンの除去は不可能であったが、1887年にシドニー・ギルクリスト・トーマスが白雲石粉末を裏張りした転炉を用いる方法を開発し、このトーマス転炉において硫黄の除去が可能となったほか、リンをリン酸カルシウムの溶滓(ようさい)として分離させることも可能となった。トーマス法ではこのリン酸カルシウムも肥料になるので無駄にならない一方で、このリンの反応も熱源なので原料のリン濃度が低いと逆にうまくできなくなる(1.8-2.5%程度のリン濃度が必要)他、炭素の燃焼が終わってからもリン除去に3-4分ほど送風が必要なため、必然的に低炭素の軟鋼しかできない問題があった他、空気を底から吹き込むので窒素が鋼に混ざる(冷間加工時に割れやすくなる)問題があった。現在では1946年にオーストリアで開発された空気の代わりに酸素を用いるLD転炉法が主流となっている。また、1949年にはそれまで底から酸素を送り込んで不純物を除去していたが炉底が痛むので上から酸素を吹きつけた所、これだけでも撹拌が起きて不純物が除去されることがわかり、上部から酸素を送り込む工法が主流となった。しかし上部からの酸素だけでは撹拌が弱くなる(=時間がかかる)ため、1970年代にはプロパンガスを同時に吹き込みこの分解熱で炉底を守る底吹きが主流となる。すると今度は上部の温度が上がりにくくなるという欠点が現れ、結局1980年代以降は上部からの酸素供給を基本とし、底部から補助的に空気を送り込む混合式の吹込みが主流となった。
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