トーマス転炉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 01:49 UTC 版)
トーマス転炉とは、1878年にイギリス人裁判所書記シドニー・ギルクリスト・トーマス(英語版)と彼のいとこの製鉄所技術者パーシー・カーライル・ギルクリストが共同で発明した転炉である。この転炉を使った製鋼法を「トーマス法」という。トーマス転炉の基本的な構造はベッセマー転炉と同様に底吹転炉である。この転炉は塩基性耐火煉瓦を使用することによってベッセマー転炉の欠点を解決した。 トーマスらは、ベッセマー転炉の欠点を解消するために新しい内張りの耐火煉瓦を発明した。この耐火煉瓦は、酸性酸化物ではなく塩基性酸化物で出来ていた。耐火煉瓦のベースは酸化カルシウムと酸化マグネシウムから出来ていて、酸化カルシウムと酸化鉄があればリンをスラグに溶かし込むことが可能だった。こうしてリンが溶け込みやすい塩基性のスラグを作って、リンもまとめて除去するやりかただった。そして、塩基性の耐火煉瓦は、塩基性のスラグとは反応しなかった。解決するための原理は簡単だが、転炉内の高温、溶銑注入時の衝撃、操業時と休業時の激しい温度差、反応ガスなどに耐えられるような塩基性耐火煉瓦を開発することが難しかった。 燐鉱石も使用できるトーマス転炉が発明されたことにより、世界中でトーマス転炉が広まった。トーマス転炉の発明は、鉄鉱石の産出地図を塗り替えるほど影響があった。特に、独仏国境地帯にあるロレーヌやルクセンブルクに大量に埋蔵されていたミネット鉱の高燐鉱石が使用可になったことより、フランスのロレーヌ地域やドイツのルール地域の製鉄業は発展した。そして、燐鉱石も使用できるトーマス転炉により、完全に時代遅れとなったパドル法は消滅した。 川崎市市民ミュージアムには世界で唯一保存されているトーマス転炉がある。
※この「トーマス転炉」の解説は、「転炉」の解説の一部です。
「トーマス転炉」を含む「転炉」の記事については、「転炉」の概要を参照ください。
- トーマス転炉のページへのリンク