平炉法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:49 UTC 版)
平炉は反射炉の一種で、1856年にシーメンス兄弟(カール・ウィルヘルム・シーメンスとフレデリック・シーメンス)によって炉の構造が発明され、マルタン父子(ピエール・ マルタンとエミール・マルタン)によって製鋼法が発明されたことから、両者の名を取ってシーメンス・マルタン法と呼ばれる。製鋼したこの方法は溶けた鉄の湯にスクラップや銑鉄など様々な鉄を混ぜ、予熱した石炭ガスと空気を燃焼させて作った高温のガスをこの炉床の溶鋼に向けて耐火物を保護し、さらに溶鋼表面を常時スラグで覆うことで必要以上の鉄の酸化を防いだ。平炉法も脱リンを十分に行うと低炭素鋼になるが、トーマス転炉法と違ってリンの濃度はそこまで高くなくてもよく1.5%以下ならよかった。。しかし平炉法は冷えた材料の加熱を行うため、初期のものは鋼の製造まで10時間を要した。1960年代には3時間まで時間が短縮されたものの、転炉はこの過程を30分で行えるため勝負にならず、燃料代が転炉より高くつく(転炉は過熱空気を作るのに燃料はいるが平炉より圧倒的に少なく、20世紀初頭時点で石炭換算で鋼1tに対し転炉が200-250㎏、平炉が300-500㎏必要だった。)という問題が当初からあった。それでも20世紀中ごろまでは原材料や品質の問題がある転炉鋼に比べ、原料に柔軟性があり(転炉ではくず鉄がほとんど利用できない)質も均一な強みから主要な製錬炉であった。が、LD転炉はこうした問題も解決できたので、日本では1960年代以降この方式での製鋼は行われていない。
※この「平炉法」の解説は、「鋼」の解説の一部です。
「平炉法」を含む「鋼」の記事については、「鋼」の概要を参照ください。
「平炉法」の例文・使い方・用例・文例
- 平炉法のページへのリンク