平炉
(シーメンス・マルタン法 から転送)
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平炉(へいろ、Open Hearth furnace, OH)とは、左右対称に蓄熱室がある一種の反射炉で低く平らな形なのでこう呼ばれる。あるいは発明者のシーメンスとマルタンの名を取ってシーメンス=マルタン炉とも呼ばれる[1]。主に鉄の精錬に用いられる。蓄熱炉とも呼ばれるが、蓄熱室を蓄熱炉と呼ぶこともあるため注意を要する。
かつては転炉と並ぶ二大製鋼法で、一般的に転炉鋼より良質な鋼を得られた[2][3]ため、20世紀の中頃までは日本やアメリカ・ソ連などでは主流の精錬方法だったが、戦後、平炉鋼と同質あるいはそれ以上の鋼を作れる[注 1]純酸素上吹き転炉(LD転炉)の発明・普及により圧迫され、漸次その地位が低下し日本の場合は1963年(昭和38年)に転炉鋼と平炉鋼の生産量が逆転[1][4]して現在は平炉鋼は日本で製造されなくなり、世界的にも東欧などで生産が見られるだけである。
1856年にカール・ウィルヘルム・シーメンスにより炉の構造が発明され、ピエール・エミール・マルタンにより製鋼法が確立したことから、平炉による製鋼法はシーメンス・マルタン法と呼ばれている。製鋼法としてはシーメンスは銑鉄(銑鉄・鉱石法)を、マルタンは銑鉄に多量のくず鉄を加えたものを原料として用いているだけであり、相違はほとんどない。
概要
平炉は左右対称に蓄熱室があり、炉体は鉄柱や鉄皮で覆われ内部に耐熱レンガが張られる。この使用耐火物によって酸性と塩基性に分けられ、酸性平炉は精選された原料により高級鋼を作れるが、コストが高くなるので早いうちから塩基性が主流となり、一足先に衰退している[1]。
平炉製鋼の原料は銑鉄とくず鉄で、これに石灰石と鉄鉱石などを加えて炉に装入し、蓄熱室で予熱された空気と燃料ガスまたは重油が吹き込まれて高熱の炎で原料を溶かし、排気がもう一方の蓄熱室を予熱し、約10から15分おきに空気の流れを切り替え、今度はこちらの蓄熱室の余熱を使って加熱を繰り返す。精錬所要時間は本来は6時間から10時間程度だが、1960年代には酸素を吹き込んで精錬時間を短縮する方法も行われており[1]、4 - 5時間程度の精錬も行われていた[5]。
炉内では溶けた銑鉄中の炭素と炉内の熱風や鉄鉱石(酸化鉄)の酸素が反応して一酸化炭素を生じ、これと石灰石の熱分解で沸騰を起こす。また鉄鉱石はマンガン・ケイ素・リン・硫黄などを酸化し、生じた酸化物は石灰石と共に鉱滓となって取り除かれ、鋼が所定の炭素量になったら最後に余分な酸素を抜くため少量の鉄・シリコン合金やアルミニウムを脱酸剤として加えて所定品質の鋼にする。炉の大きさは一回の出鋼量で示し、普通150トンから200トンぐらいだったが、最終的に500トンぐらいの物も作られていた[1]。
脚注
注釈
- ^ LD転炉は精錬が平炉より早くできる(20から30分程度)だけではなく、原料の大部分が銑鉄なので銅・錫などのスクラップ起源の不純物が入りにくく、酸素を吹き込むだけで燃料重油を用いないので硫黄が混入しない。
旧式転炉もこれらは同じだったが空気を底から吹き込むので鋼に窒素が混じる欠点があった。
出典
- ^ a b c d e 「平炉」『世界原色百科事典 7 にま-ほた』 小学館 編、小学館、1966年(昭和41年)、535-536頁、全国書誌番号:67007850。
- ^ 「平炉鋼」『世界原色百科事典 7 にま-ほた』 小学館 編、小学館、1966年(昭和41年)、536頁、全国書誌番号:67007850。
- ^ 「第3章 金属 — 生活を支える物質I」『原色現代科学大事典 9 化学』 神保元二・山田圭一(責任編集)、堀内良(執筆)、株式会社学習研究社、1968年(昭和43年)、67頁、全国書誌番号:69024104。
- ^ 「転炉鋼」『世界原色百科事典 6 ち-にほ』 小学館 編、小学館、1966年(昭和41年)、329頁、全国書誌番号:66006752。
- ^ 「第3章 金属 — 生活を支える物質I」『原色現代科学大事典 9 化学』 神保元二・山田圭一(責任編集)、堀内良(執筆)、株式会社学習研究社、1968年(昭和43年)、66頁、全国書誌番号:69024104。
関連項目
シーメンス・マルタン法
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装甲艦を語る上で重要なポイントの一つは船体に用いる金属の質と、その製法である。船舶の歴史上、その素材は木材が主流であった。しかし建造される船舶が次第に大型化するにつれ木材では素材として強度が足りなくなり、価格の高騰が進むようになる。製鉄技術の発達はその問題の解決策となるものであり、薄く延ばした鋼鉄で建造する事で木材を使用するよりも丈夫で軽く、コストを安く抑える事ができるようになるものであった。 製鉄技術の進歩に伴い小型の船舶には徐々に鉄の船体を用いられるようになったが、大型の船舶でこれを行う為にはさらに高い製鉄技術が必要とされる。イギリスの製鉄業では早期に平炉で高級鋼を生産するシーメンス・マルタン法が採用されており、鋼鉄板を同強度の鉄板よりも薄く、軽く、高品質に製造する事が可能であった。この為、イギリスでは早くから大型船の鋼鉄化を実現することが出来た。こうした高い技術力を背景として海外から造船の受注が増加したことにより、イギリスは1890年代までにヨーロッパの造船シェアで8割以上を占める造船大国として君臨する事となる。 こうした進歩の結実の一つが1843年に完成した蒸気船グレート・ブリテン号 (SS Great Britain) である。グレート・ブリテン号は排水量3675トン、全長98メートル、幅15.4メートルで、当時世界最大の鉄製の客船であった。また、鋼鉄のみで建造された貨物船も1881年に進水されたイギリス製のセルビア号である。装甲艦は、こうした高い製鉄技術や造船設計の進歩を背景とし、時代の要求に伴って産まれてきたのである。
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