シーメンス時代、工場閉鎖後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 15:03 UTC 版)
「ČKDタトラ」の記事における「シーメンス時代、工場閉鎖後」の解説
破産後、ČKDグループが所有していた工場や車両のライセンスなど各種資産は、ドイツの重電メーカーであるシーメンスがチェコに設立した子会社のSKV(Společnost kolejových vozidel)へと7億5千万コルナで移管された。その後もスミーホフ工場やズリチーン工場の操業は続き、プラハ地下鉄向けのM1形電車(チェコ語版)の生産がČKDタトラ時代から継続して行われたが、スミーホフ工場は2002年に閉鎖された他、シーメンスによるチェコでの鉄道車両製造事業そのものが生産能力の整理の一環で終了する事となり、最後まで残ったズリチーン工場も2009年をもって閉鎖された。その後スミーホフ工場は解体され、跡地にはショッピングモールが建設されている。 一方、タトラカーを始めとした車両のライセンスについては2003年に実施された審査によってシーメンスからSKDトレード(SKD Trade)へと継承されており、以降同社は各種車両の修理部品の生産を継続して行っている。 シーメンス時代のズリチーン工場(2009年撮影) スミーホフ工場への専用線の廃線跡(2011年撮影)
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