軌道投入までの道程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:15 UTC 版)
「マーズ・グローバル・サーベイヤー」の記事における「軌道投入までの道程」の解説
サーベイヤーはフロリダのケープカナベラル空軍基地から、デルタIIロケットによって1996年11月7日に打ち上げられた。およそ7億5千万km、300日間の旅ののち、1997年9月11日に火星に到達した。到着時に主ロケットエンジンを22分間噴射して減速し、惑星間軌道から45時間周期の火星周回軌道へと投入された。このときの軌道はまだ、「近火点」(periareion) すなわち火星に最も近い点で地表高度262km、「遠火点」(apoareion, 火星から最も遠い点) で54,026kmの非常に長い楕円軌道であった。 周回軌道投入後はエアロブレーキ (aerobraking) の技術を利用した軌道変更が試みられた。サーベイヤーは一連の軌道変更を行い、近火点を徐々に下げて火星大気の影響を受けるおよそ高度110kmにまで達した。この近火点通過時の微弱な大気の抵抗による減速によって、徐々に遠火点を下げ、軌道はより円に近いものへとゆっくりと近づけられた。ゆっくりとしたエアロブレーキによる減速は装置に障害をもたらすほどのものではないと考えられ、またこれによって実質的に大量の燃料消費を行うことなく軌道の変更が成し遂げられる。しかしサーベイヤーの2つの太陽電池板の片方がエアロブレーキによってわずかに傾いたため、サーベイヤーのフライト・チームは、10月11日にエアロブレーキを一時中断し、今度は大気の影響が弱くなる高度まで近火点を高める軌道変更のためのスラスター噴射(マヌーバ)を実行した。サーベイヤーの太陽電池板は1996年の打ち上げ後すぐにいくらか損傷を受けていた疑いがもたれていた。 元々の計画よりもゆっくりとしたペースでエアロブレーキが行われるならば問題ないとフライト・チームが結論を下した11月7日に再びエアロブレーキによる軌道変更が再開された。新しい計画では、エアロブレーキは元の計画よりも 10 km 高い近火点120kmの平均高度で行われ、これは探査機が受ける大気の抵抗の66%の減少をもたらした。この6ヶ月の間、エアロブレーキによって軌道周期は12時間から6時間へと減少された。1998年の5月から11月にかけてエアロブレーキは再び中断された。これはエアロブレーキによる軌道変更が完了したときに、サーベイヤーが不適切な太陽との位置関係となってしまうことを防ぐためのものであった。ミッションの効率を最大限のものとするために、この6ヶ月の間は日に2〜4回訪れる近火点付近で可能な限りの科学的データの収集が行われた。1998年11月からエアロブレーキは再開され、最終的に遠火点の高度は450kmにまで縮められた。この高度の軌道においてはサーベイヤーはおよそ2時間で火星を一周する。地図の作成をミッションとするサーベイヤーは、火星の局地時間で午後2時にあたる地点で赤道を南から北へ常に通過することが望まれていた。この位置関係は全体的な科学的成果を高めるために選択されたもので、1999年3月、こうした太陽の方向と望ましい位置関係になったと同時にエアロブレーキのミッションは終了された。
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