金星探査から火星探査へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 09:03 UTC 版)
「PLANET計画」の記事における「金星探査から火星探査へ」の解説
「のぞみ (探査機)」も参照 1980年代後半、大型探査計画が可能となる見込みが出たために、PLANET-B計画と並行して月・ペネトレータ計画(後のLUNAR-A計画)や小惑星サンプルリターン計画(後のMUSES-C計画)等、様々な探査計画が考案された。その中で金星探査機PLANET-B計画は着々と検討を進め、PLANET-A計画の探査機開発成果とEXOS-C計画の観測機器開発成果を活用したスピン安定式250kgの金星探査機を用い、パイオニア・ヴィーナス計画の観測成果を受けた上で、より詳細な観測を目指す計画となった。しかし、1989年秋から1990年春にかけて行われたM-Vロケット2号機のミッションプラン選定で、候補の1つとなったPLANET-B計画はMUSES-C計画と共にLUNAR-A計画に敗れ、再検討を要求されることになる。 再検討にあたって、NASAのバイキング計画で明らかになった火星の大気圧分布が理論モデルと合わないこと、ソ連のフォボス計画で火星の上層大気から宇宙空間への酸素の流出が観測されたこと、金星の上層大気についてはパイオニア・ヴィーナス計画で既に十分な探査が行われていること等から、火星探査派が金星探査派よりも優勢となる。また、工学研究者達の後押しがあったことが決め手となり、PLANET-B計画は火星探査機として開発されることになった。再検討を経て火星探査機となったPLANET-B計画は、1991年秋から1992年春にかけての選定でASTRO-E計画に競り勝ち、M-Vロケット3号機のミッションプランとして採用された。 その後、打ち上げ延期や過酷な軽量化、推進系配管に追加された逆止弁の故障によるパワードスイングバイ失敗と周回軌道投入用燃料の不足、大規模な太陽フレア、1bit通信など、のぞみは開発中から火星周回軌道投入までの道程にあった数々の困難をくぐり抜ける。しかし、2003年7月9日に電源投入ノイズによる誤作動で2度目の通信途絶が発生。火星周回軌道投入期限である同年12月9日までに通信が回復しなかったため、周回軌道投入を断念し、5年間に渡る運用が終了された。
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