起源と構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 21:14 UTC 版)
「マドリード-セビリア高速線」の記事における「起源と構造」の解説
1980年代、デスペニャペロス峠(スペイン語版)を超える路線は単線かつ急カーブ(半径300mから600m)にもかかわらず通過する列車の交通量が多く、アンダルシアへの鉄道交通のボトルネックとなっていたため、アンダルシアへの新鉄道アクセス(スペイン語版)(NAFA)と呼ばれる別のアクセスを建設することが決定された。当時、スペイン初の高速鉄道は、マドリード - バルセロナ - フランス国境間の路線が計画されていたが、NAFAはあらゆる種類の列車に開かれたルートであった。 NAFAの当初の計画では、マドリードとシウダー・レアルを結ぶ歴史的な路線のルートのかなりの部分を利用して、アルコレア(スペイン語版)とヘタフェの間にイベリアゲージ(1,668 mm)の新線を建設し、列車は既存の線路に沿って運行することになっていた。1986年10月11日にスペイン政府は輸送力が飽和状態にあるマドリード・セビリア間に新たな鉄道新線を建設することを決定した。 1981年にパリ - リヨン間の高速鉄道(410km)が開通し、その後の数年間で徐々に成功を収めたことで、開始されたインフラの建設設計において基準を変更することの利便性を考えるようになった。これらの理由から、1987年12月9日、閣僚会議は、新しいインフラを高速路線規格で、他のヨーロッパ諸国で主流の軌間である1,435mmで建設することを決定した。 1988年にヘタフェ(スペイン語版) - ビリャセカ(スペイン語版)間の工事が始まったが、その直後に工事中止の命令が下された。1988年12月9日、NAFAを含む新線を標準軌(1,435 mm)で建設することが決定され、すでに建設中だったこのプロジェクトは、レンフェの在来線を使ってアンダルシアの他の地域に列車を直通させることができなくなってしまった。そのため、万博のためにセビリアまでの路線を継続して建設することになり、マドリードへのアクセスを新設する必要が出てきた。このようにして、NAFAにマドリード - セビリアの高速線が加わった。 1988年2月25日に24編成のAVE用高速列車編成の国際入札が行われ、最終的にはフランスのアルストムが落札した。スペインからはLa Maquinista Terrestre y Marítima(スペイン語版)、Aplicaciones Técnicas e Industriales (Ateinsa)、CAFが参加した。そのため、初代AVEの編成(レンフェ100系)はTGV Atlantiqueがベースとなっている。同年12月23日に発注され、1991年10月10日に受領している。 1989年3月16日に本路線の着工が命じられ33ヶ月の期間で実施された。実際はそれより短期間の24ヶ月で建設されている。1989年10月2日、新線に最初の線路が敷かれた。この新線の建設は、スペインの鉄道工学にとって大きな挑戦だった。主な工事は、他のルートに比べてはるかに複雑な地形のアルクディア山地とシエラ・モレナ山脈の山中で行われた。また、この路線の建設に伴い、マドリッド、シウダー・レアル、プエルトリャノ、コルドバ、セビーリャといった通過する主要都市の鉄道施設を整備する必要が生じ、多くの場合、新しい駅の建設や幹線鉄道網の再編成が行われた。
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