起源と日時
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プリンプトン322は所々欠損している粘土板であり、およそ幅13cm、高さ9cm、厚さ2cmである。ニューヨークの出版業者ジョージ・A・プリンプトンが考古学商エドガー・J・バンクスから1922年頃に購入した。そして1930年代中盤、彼のほかのコレクションと共にコロンビア大学に遺贈された。バンクスによると、その粘土板はテル・センケレ(イラク南部の都市、旧ラルサ)から見付かったという。 この粘土板が紀元前1800年頃に書かれたとされているのは、楔形文字の書式を元に推定されたものである。ロブソン(2002)はこの書式は「4000から3500年前のイラク南部の文書に典型的に見られるもの」と書いている。特に、はっきりと日付が明記されているラルサ出土のほかの粘土板との類似性からも、プリンプトン322は紀元前1822年~1784年に書かれたと推定される。ロブソンはプリンプトン322が、数学的というよりもむしろ行政的な文章と同じ形式で書かれていることを指摘している。
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起源と日時
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リンドは1858年、エジプトのルクソールでこのパピルスを購入した。ラメセウム(英語版)付近で非合法な発掘により発見されたらしい。1864年から、同じくリンドが所有していたエジプト数学革巻きとともに大英博物館に保管されている。発見時には長さ18フィート、幅13インチの巻物状をしていたが、リンドの死後に大英博物館が入手した時には、いくつかの断片が失われていた。後の1922年に、断片はニューヨークのブルックリン美術館にて発見・所有されている。これらをニューヨーク断片という。 リンド数学パピルスはエジプト第二中間期の数学パピルスで、書記官アーメスにより第12王朝の王アメンエムハト3世(Amenemhat III)の時代の文書(原典は失われている)が筆写されたものである。文字はヒエラティックが用いられ、高さ33センチメートル、長さ5メートル以上である。19世紀後半から音訳、数学的解釈が始まった。2008年現在、数学的解釈はいくつかの点で不完全である。
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