起源と後継の文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/21 16:04 UTC 版)
「トシュチニェツ文化」の記事における「起源と後継の文化」の解説
トシュチニェツ文化は、中央ヨーロッパで縄目文土器文化から発展していたウーニェチツェ文化のうちの東方群の諸地方文化のうちミェシャノヴィツェ文化(Mierzanowice culture)、ストシジョフスカ文化(Strzyżowska culture)、イヴィエンスカ文化(Iwieńska culture)、ドブレ群(Dobre group)から発展した。 ストシジョフスカ文化とイヴィエンスカ文化はミェシャノヴィツェ文化の北群にまとめられる場合がある。この分類の場合、広義のミェシャノヴィツェ文化はトシュチニェツ文化西部群と同じものを指す。 ポーランド中部から南東部にかけてに広く発展したトシュチニェツ文化西部群(すなわち広義のミェシャノヴィツェ文化)は、地理的には「西部群」はあるが、文化的にはトシュチニェツ文化の中心部。これは現在のポーランドとウクライナやベラルーシの国境地帯であるブク川(西ブーフ川)中流部で東部群と接する。この西部群では、ウッチ市のあたりの地方から次第に骨壺墓地文化の東部群であるルサチア文化(ラウジッツ文化)が始まり、ポーランド一帯へ徐々に拡大していった。 東部群の広がっていた地域は「北カルパチア墳墓文化」とも呼ばれ、これは地域によってベログルードフ文化やコマロフ文化の段階からチェルノレス文化に移行したと考えられている。実際に、地理的にはチェルノレス文化の社会の中心と思われる地域と一致している。 すなわち、ポーランド一帯に広まったルサチア文化は、プロトスラヴ系の東方の要素とプロトゲルマン系の西方の要素を色濃く併せ持つ、独特の地方文化として発展した。この辺りは現代のポーランドに至るまで、東方諸文化と西方諸文化が常に融合する独特の地域。
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