資料の公刊・出版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:16 UTC 版)
発見以来およそ1世紀もの間、テキストが刊行された例はわずかしかなかった。サンティアゴのチリ国立自然史博物館の館長ルドルフ・フィリッピ(Rudolf Philippi)が1875年に「サンティアゴ杖」のテキストを、オーストラリアのシドニーの医師、アラン・キャロル(Dr. Alan Carroll)が1892年、「文字板 A」のテキストの一部をそれぞれ出版した。トーマス・バルテルが1958年に Grundlagen zur Entzifferung der Osterinselschrift(『イースター島文字解読のための基礎』)の中で、現存するほとんどすべてのテキストを公刊したが、それまでは大半のテキストが、未来の解読者となるかもしれない人々にとって目にすることができないままであった。バルテルのこの著作は、今日までロンゴロンゴ研究の基礎的文献の地位を保っている。バルテルは「文字板 A」から「X」までという、現存する文字板の99%以上を発表し、ポリネシア地域の文化研究機関、C.E.I.P.P.(Centre d'Etudes sur l'île de Pâques et la Polynésie)はその内の97%が正確であると算出した。バルテルによるテキストの図は手書きによるものではなく、「拓本」(文字板の上に紙を置き、その上を鉛筆などで擦って絵文字を浮かび上がらせる方法)であったため、実物に忠実なものとなったのである。 フィッシャーも1997年、新たなテキストの図版を公刊した。その中には「文字板 N」のように、バルテルのものには見られなかった、非常に細かい線(黒曜石で刻まれ、サメの歯で刻まれ直していない線。後述の書記道具参照)まで描かれているものもある(しかし、後述書記道具にある「Gv4」については、両者の図それぞれに細かい線が見られる)。また、バルテルのものには Ca6 から Ca7 の行の変わり目にある、一続きの絵文字が写っていないが、これはおそらく絵文字の刻まれている場所が文字板の側面にあたっていたため、バルテルがその部分の写しを取りそこなったのであろう[独自研究?]。また、単純に両者が食い違っている例もある。例えば、フィッシャーの著書(1997:451)における I12 (「サンティアゴ杖」の12行目)の最初の絵文字は、バルテルの記録した絵文字や、フィリッピが1875年に発表したものとは異なっている。資料の複写は不正確な部分がかなりあり、高度な写真技術が不足していたため、これまで適切な検証がなされてこなかった。
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