貴族院における公爵とは? わかりやすく解説

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貴族院における公爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 18:35 UTC 版)

公爵」の記事における「貴族院における公爵」の解説

1889年明治22年)の貴族院令勅令第11号)により貴族院議員種別として華族議員設けられ(ほかに皇族議員勅任議員がある)、公侯爵は満25歳大正14年以降は満30歳)に達すれば自動的に終身貴族院議員列することとなった。これに対して伯爵以下は同爵者の間の連記記名投票選挙によって当選した者のみが任期7年華族議員となった。また公侯議員無給だったのに対し伯爵以下の議員有給であるという違いがあった。こうした違いから公侯議員伯爵以下の議員たちほど貴族院活動に熱心ではない傾向があり、本会議出席率さえ十分ではなかった。特に現役軍人である公侯議員皇族議員同様に軍人政治関与原則から貴族院出席しないのが慣例になっていた(必ず入隊することになっていた皇族王公族ほどではないものの、華族ノブレス・オブリージュ一環でなるべく入隊するよう奨励されていた)。しかし公侯全員不熱心だったわけではなく近衛篤麿公爵近衛文麿公爵徳川家達公爵二条基弘公爵など代表的な貴族院政治家として活躍した公爵もいる。 また歴代貴族院議長伊藤博文伯爵松平頼寿伯爵除き全員公侯爵であり、貴族院副議長公侯爵が多かった議院内の役職家格意識反映されるのは近世以前序列意識に基づく「座り良さ」のあらわれであり、これが議事運営影響与えるというのが貴族院特徴一つであった貴族院内には爵位ごとに会派形成されていたが、公侯爵は長年各派分散していた。しかし1927年昭和2年)には近衛文麿公爵主導で「火曜会」という公侯議員による院内会派形成された。これは互選がないゆえに「一番自由な立場」である世襲議員公侯議員は「貴族院自制」が必要だ考える者が多く、そのため公侯爵が結束してその影響力を大きくすることで子爵中心とする院内最大会派研究会抑え込み貴族院を「事実上権限縮小」「貴族院衆議院多数支持する政府援け円満にその政策遂行させてゆく」存在にすることができるという考え立脚したのだった近衛文麿公爵のほか、徳川家達公爵木戸幸一侯爵細川護立侯爵広幡忠隆侯爵などが賛同して協力していた。

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