象徴的表現行為の主張について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 17:32 UTC 版)
「沖縄国体日の丸焼却事件」の記事における「象徴的表現行為の主張について」の解説
原判決は、被告人の本件行為は表現の自由の行使であるから正当行為として違法性が阻却される旨の弁護人の主張を排斥したが、右主張を更に敷衍するならば、被告人の本件日の丸旗焼却行為は、日の丸旗の掲揚の強制に抗議し、その不当性を社会に訴える目的でされたものであり、客観的にも右目的でされたものと受け止められたものであるから、憲法二一条で保障された表現の自由に基づく象徴的表現行為に当たり、他方、これによって公共の危険は生じておらず、侵害された法益は三五〇〇円の布切れとロープの財産権にすぎず、右布切れが日の丸旗であることは特段の意味を持たないから、象徴的表現行為の法益が優先されるべきであり、また、本件建造物侵入、威力業務妨害の各行為は、日の丸旗焼却行為に不可避的に付随するものであり、これと一体として評価されるべきであり、他方、それにより侵害された法益も小さく、象徴的表現行為の法益が優先されるべきであることにおいて日の丸旗焼却行為と何ら異ならないから、本件行為は全体的に象徴的表現行為に当たり、正当行為として違法性が阻却されるものであり、したがって、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあるというのである。 そこで、検討するのに、象徴的表現行為の法理は、アメリカの判例において形成された理論であり、我が国の憲法の下でこの法理が認められるか否かの問題はしばらくおき、理論的にみて、この法理の適用により被告人の本件行為が不処罰と解し得るかどうかをみることにする。……(略)……本件行為は、前記のとおり、整然と行われている本件競技会の開始式の最中に、本件スコアボード屋上に侵入し、諸旗掲揚台に掲揚されている日の丸旗を引き降ろし、これを焼き捨て、競技会の進行を妨害するなどしたというものであり、これにより、読谷村実行委員会所有の日の丸旗等の財産権、山内村長による本件スコアボード屋上の平穏な管理、日体協、文部省、沖縄県及び読谷村が主催し、日ソ協が主管する本件競技会の安全な運営がそれぞれ侵害されたものであるから、これに対し右各罰則を適用することにより、被告人の表現行為を不当に規制することにはならない。日の丸旗掲揚反対の表現活動としては言論を中心に様々なことが可能であり、関係証拠によると、現に被告人は、知人らと一緒に日の丸旗掲揚反対を訴える横断幕を作り、本件行為の当日、これを平和の森球場に用意していたことが認められるが、会場周辺において許された手段により右のような横断幕を示して観客や地元住民に日の丸旗掲揚反対を訴えることも有効な表現行為であったと考えられる。以上によると、仮に象徴的表現行為の法理に従ったとしても、本件行為は象徴的表現行為として不処罰とされるための要件を欠くものであり、これに対し右各罰則を適用することは何ら表現の自由を侵害するものではないというべきである。所論は、被告人の本件行為について、アメリカのジョンソン事件の判決と同様に解釈して、不処罰とすべきである旨主張するので、付言するのに、……(略)……ジョンソンは、テキサス州刑法の国旗冒涜罪で起訴されたが、連邦最高裁判所は、一九八九年六月、ジョンソンの行為を国旗冒涜罪で処罰することは連邦憲法修正一条が保障する表現の自由を侵害することになり許されないとして、州最高裁判所の無罪判決を維持した。この事例の場合、ジョンソンは国旗冒涜罪でのみ起訴されたのであり、右事件のとき、ジョンソンがあった法的状況は、自己所有の旗を公然と燃やしたに等しいといえるのであり、まずこの点において、被告人の本件行為とは明らかに異なっている。……(略)……この場合は、規制の目的が自由な表現の抑圧に関係するもの(表現効果規制)に当たり、表現の内容の規制に関する厳格な基準によって処罰の合憲性が判断されることとなり、連邦最高裁判所は、この厳格な基準により合憲性を審査し、右のとおり判断したものである。この点においても、非表現効果規制の場合に当たる被告人の本件行為とは大きく異なっているのであり、結局のところ、ジョンソン事件と本件とを同列に論じることはできないから、所論は採用できない。以上の次第であるから、論旨は理由がない。
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