講和会議と条約調印
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 09:16 UTC 版)
「日本国との平和条約」の記事における「講和会議と条約調印」の解説
8月16日、日本政府は、8月15日にGHQより受けとった講和条約最終草案全文を発表した。9月4日から8日にかけて、サンフランシスコ市の中心街にあるオペラハウス(ウォーメモリアル・オペラ・ハウス)において全52カ国の代表が参加して講和会議が開催された。 日本の全権団は首席全権の吉田茂(首相)、全権委員の池田勇人(蔵相)・苫米地義三(国民民主党最高委員長)・星島二郎(自由党常任総務)・徳川宗敬(参議院緑風会議員総会議長)・一万田尚登(日銀総裁)の6人。吉田はできるだけ「超党派」の全権団にしたいと考えていたため、野党国民民主党の主張する臨時国会の召集要求を呑むなど妥協の末、委員参加を取りつけた。また日本社会党に対しても全権委員参加を要請したが、党内左派を中心に「全面講和」を主張していたため随員として片山哲(元首相)と浜井信三(広島市長)が参加するのにとどまった。 9月7日、吉田茂首相により、条約を受諾する演説が日本語でなされた。英語で行う予定で準備されていたが、直前になって日本語で行うことになり、急遽原稿が差し替えられ、長大な巻物式の急造原稿は現地のメディアからトイレットペーパーとも言われた。 セイロン代表ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナは、戦争中の空襲を指摘した上で、責任の所在・謝罪・反省を受け入れて、心の問題としての憎しみの連鎖が戦争に成る事を戒めた「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」という仏陀の言葉を引用して、日本に対する賠償請求を放棄する演説を行った。 ソ連、ポーランド、チェコスロバキアの共産圏3国は講和会議に参加したものの、同じ社会主義国の中華人民共和国の不参加を理由に会議の無効を訴え署名しなかった。 9月8日、条約に49カ国が署名し講和会議は閉幕した。調印は、国名の英語表記のアルファベット順にこれを行い、講和当事国の日本が最後に調印した。署名は各国とも全権として会議に参加した者全員でこれを行った。
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