論理学・数学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 03:17 UTC 版)
「バートランド・ラッセル」の記事における「論理学・数学」の解説
ラッセルは、アリストテレス以来の伝統的論理学では疑われることのなかった三段論法のほかに多くの推理形式があることを明らかにしたことで、アリストテレス以来最大の論理学者と評価される。その業績は、従来の体系におけるパラドックスの発見と、その解決の探求のなかで成し遂げられた。特にラッセルのパラドックスで知られる。 ラッセルのパラドックスの発見は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ドイツの哲学者・数学者・論理学者であるフレーゲの研究と関係がある。フレーゲは、数学は論理に帰着しうる(論理主義)と考え、その思想を現実化する一歩として、論理上で実際に数学を展開するという野心的な著作『算術の基本法則』( Grundgesetze der Arithmetik ) を上梓した。1901年、ラッセルは、この『算術の基本法則』で示された体系で、パラドックスを示せることを発見し、フレーゲにその発見を伝える書簡を送った。このパラドックスは、のちに「ラッセルのパラドックス」と呼ばれるようになった。この手紙は、フレーゲの悲痛なコメントとともに『算術の基本法則 II』( Grundgesetze der Arithmetik II ) に収録されている。 この時期、ラッセル自身もまた、ホワイトヘッドとともに、論理主義の立場から論理上で実際に数学を展開するという事業に取り組んでいたが、このラッセルのパラドックスのために、約2年間の停滞を余儀なくされている。さらに、このパラドックスは、同時期に発見された類似の他のパラドックスとともに、数学の基礎に存在する深刻な問題と受け取られ、いわゆる「数学の危機」の震源となり、その解決をめぐって、ヒルベルトの「形式主義」やブラウワーの「直観主義」の誕生の切っ掛けとなった。 ラッセルは他にもパラドックスを発見したが、通常ラッセルの名を冠して呼ばれるものは一つだけである。他のパラドックスには、例えばブラリ=フォルティのパラドックスはラッセルの発表中に脚注で「ブラリ=フォルティの論文に示唆された」とあるためこの名が冠せられた。ところがブラリ=フォルティの論文を見てもそのパラドックスは載っていないという。 ラッセル自身のパラドックス解決の試みは、1903年、「階型理論」(theory of types) の発見により成功をおさめた。ラッセルは、この成功を礎に、階型理論に基づく高階論理上で全数学を展開するという一大事業を押し進め、その努力は、『数学原理』Principia Mathematica(1911-1913年)として結実した。
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