論理学的な例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 19:36 UTC 版)
人身攻撃の誤謬は、論証自体の健全性に対して反論するのではなく、その論証を行った人の信頼性や権威を問題とすることで、論証自体が間違っているとか、その人がそのような論証をすることが間違いであると主張するものである。それによって、相手の主張やその個人の論証能力に疑いを向けさせる。理性的な会話の中で単に相手を侮辱することは、(褒められたことではないが)必ずしも人身攻撃を構成しない。人身攻撃の目的は、議論の相手をおとしめ、その主張を第三者が割り引いて考えるように仕向けることである。一般には、人身攻撃と単純な個人攻撃や誹謗中傷は必ずしも区別されない。しかし、論理学や修辞学では「人身攻撃」という言葉はこれまで述べたような意味を持っている。 例: あなたはこの男が無罪だと主張するが、あなた自身も犯罪者なのだから、そんな主張は信用できない。 このような文は、犯罪者は嘘をつくことが多く、嘘をつくことで互いにかばい合うという常識に照らして、一般には納得されるだろう。しかし、これが個人の証言の信頼性を貶める人身攻撃であるとすれば、妥当ではない。 一般に、人身攻撃はある主張を否定することはできても、その逆が真であることは主張できない。 例: ポーラは審判が正しい判定をしたといっているが、そんなはずはない。なぜなら、ポーラは別の重要なことをする片手間に試合を見ていたのだから。(だから審判の判断は間違っている。) 前提が正しければ、ポーラの証言は価値を失うが、審判が正しい判定をしたかどうかとは無関係である。
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