しきょう〔シキヤウ〕【詩経】
しきょう 【詩経】
詩経
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 01:43 UTC 版)
『詩経』(しきょう、旧字体:詩經、拼音: )は、全305篇からなる中国最古の詩篇。儒教の経典である経書の一つに数えられる。 先秦時代には単に「詩」と呼称されたが、後漢以降、毛氏の伝えた『詩経』のテキスト・解釈が盛行したため、「毛詩」という名で呼ばれるようになった[1]。宋代以降に経典としての尊称から『詩経』の名前が生まれた[2]。
注釈
出典
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詩経
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『詩経』小雅ではしばしば玁狁との戦争がうたわれているが、そのうち「六月」によると、玁狁が鎬(首都の鎬京とは別の場所という)・方を経て涇水の北まで侵入してきた。王は玁狁を征伐した。文武両道に秀でた大将の吉甫は模範的に戦い、戦勝後の宴会で吉甫は多くの褒美を得たという。 『詩経』大雅の「崧高」「烝民」の2篇には「吉甫作誦」という句があり、尹吉甫の作であることがわかる。ほとんど作者名の不明な『詩経』の中でこの2篇は例外的に作者がわかっている。小序によれば、この2篇と続く「韓奕」「江漢」の都合4篇は、いずれも尹吉甫が宣王をたたえるために作った詩だという。
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