試作車アレス号とは? わかりやすく解説

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試作車アレス号

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 08:53 UTC 版)

オートモ号」の記事における「試作車アレス号」の解説

豊川順彌によって1912年明治45年/大正元年)に東京巣鴨創業された白楊社は、当初豊川趣味的組織であり、豊川没頭していたジャイロコンパス研究や、工業用模型等の製造主な事業とした。1915年大正4年)から1917年大正6年)にかけての米国滞在経て自動車製造興味持った豊川帰国後に内燃機関自動車研究・製作を開始するこれに伴い旋盤などの工作機械製造必要になり、白楊社はそれらの製造・販売本格的に始める。 1920年大正9年9月試作車の製作を始め、翌1921年大正10年)末に試作車アレス」号を完成させた。 試作車の製作にあたり白楊社ハノマーグシトロエンジョルダン英語版)の完成車や、サンプルとしてエンジン欧米か取り寄せているが、これらは独自設計参考にするためのものとして、いずれもコピーするということはしなかった。これは白楊社純国産車の製造志向していたためである。 アレス号は空冷4気筒780エンジン搭載した小型車両S型)と、水冷4気筒1,610エンジン搭載した一回り大き車両M型)の2種類製作された。水冷M型完成当初から問題なく走ったが、空冷S型最初テストで、オーバーヒートによると思われる不具合で、すぐに止まってしまうトラブル起こした。しかし、豊川は、日本国情には小型車のほうが合っており、加えて小型車には空冷エンジンのほうが向いていると開発当初から考えており、その後空冷エンジン搭載したS型テスト重ねた。(#アレス号完成あわせて参照のこと) 完成翌年1922年大正11年)、2台のアレス号は平和記念東京博覧会出品され銀賞銀牌)を受賞1923年大正12年9月1日関東大震災が起こると、被災によって生じた悪路試験走行にはむしろ幸いと捉え空冷アレス号は東京市近辺連続走行行い改良重ねられた。これにより白楊社780エンジンでは力不足との結論至り4気筒そのまま排気量を943(Lヘッド)に拡大したエンジン製作した。このエンジン搭載した改良型アレス号は同年末までに計10台が製作された。当初M型S型試作車各1台を含めアレス号は計12台が製作されたと記録されている。

※この「試作車アレス号」の解説は、「オートモ号」の解説の一部です。
「試作車アレス号」を含む「オートモ号」の記事については、「オートモ号」の概要を参照ください。

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