計画中止になった背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 19:33 UTC 版)
「熱海モノレール」の記事における「計画中止になった背景」の解説
こうしてモノレール建設計画は始動したが、1950年(昭和25年)の熱海駅周辺での2度の大火が起き、復興区画整理事業で駅前の交通の整備が行われた結果、渋滞で交通が麻痺し観光客や地元住民の生活にも支障を来すようになった。 そこで熱海市は駅前を通る道路を整備すると共に、モノレールの地下駅建設予定地を駅前広場地下から隣接地に計画された熱海第一ビル建設予定地の地下施設への変更を余儀なくされた。1965年(昭和40年)に熱海モノレールは1.84km部分のルートを少し陸地側に寄せ、駅の位置や駅の名称に関して起業目論見書記載事項の変更を申請した。1967年(昭和42年)3月31日に熱海第一ビルはモノレール駅を含む地下3階、地上9階の高層ビルとして完成したが、モノレール建設で完成したのは第一ビルの地下駅のみに留まり、その後全く進まなかった。この原因として「トンネル部の地質が複雑」「路線建設予定地だった海上部分が年間を通じてうねりが高く作業日数の制約を受けることになった」「トンネル工事によってトンネル建設ルート上の温泉源や厚生省(現在の厚生労働省)が所有する水源に悪影響が及ぶことを恐れて関係する地権者が難色を示した」「熱海モノレールの株主だった東京モノレールが開業後に経営が悪化し資金調達が難しくなった」ことにあるといわれている。 本格的な工事に着手できないまま、1964年(昭和39年)11月12日と1965年(昭和40年)11月30日に工事施行認可申請期限の延長を申請したが、着工に向けての動きは見られず、モノレール建設計画は消滅した。
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