計画中止とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/27 06:53 UTC 版)
「APT (鉄道車両)」の記事における「計画中止とその後」の解説
結果的にAPT計画は失敗に終わったが、APT-Pの車体傾斜機構はイタリアのフィアットに売却され、ペンドリーノに使用されている。イギリスではペンドリーノの車体傾斜機構が390形電車に採用された。APT-Pの車体デザインや技術は、インターシティー225の91形電気機関車やマーク4客車に影響を与えた。 APT計画と平行して進められていたHST計画で、「インターシティー125」が43形ディーゼル機関車とマーク3客車によるプッシュプル方式を用いて大成功を収めた事とは対照的に、車体傾斜機構やAPT-Eで開発された流体式ブレーキなどは実験的要素が非常に多く、野心的過ぎたAPT-Pの技術の未熟さが露呈する事となった。APTの開発が苦戦した場合に備えたHSTの開発は順調に進み、その後30年にわたって使用されている。 APTと比べ、新幹線やTGVは高速運転用の車両だけでなく、高速運転に適した専用の新線を建設したことで大きな成功を収めた。車両だけ高速運転用であっても、軌道が高速運転に適していなければ十分な性能を発揮することはできない。
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