要求と選考
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 19:05 UTC 版)
「B-57 (航空機)」の記事における「要求と選考」の解説
1950年に朝鮮戦争が勃発すると、アメリカ空軍は全天候型阻止攻撃機の必要性を認識した。阻止攻撃機としては、レシプロエンジンを動力とするB-26が戦争初期の数カ月間運用されていたが、非常に高い損耗率に悩まされ、攻撃の成功は限られたものとなっていた。このためアメリカ空軍はイギリス政府に対して、新しく開発されたジェットエンジンを動力とする爆撃機、キャンベラの試作機を内密に提供するよう要請した。1950年8月17日、キャンベラの試験がイギリスのバートンウッド空軍基地で行われた。翌月には米国のテストパイロットとエンジニアのチームがイングリッシュ・エレクトリック社ウォートン工場を訪れ、一連の飛行試験と航空機の詳細な技術評価を行った。 1950年9月16日、アメリカ空軍はジェット推進爆撃機の要求を正式に発表した。求められていた航空機は最高速度1,020 km / h(630 mph)、12,190 m(40,000フィート)の上昇限度、および1,850 km(1,150マイル)の航続距離という値を合格しなければならなかった。さらには全天候で運用するための機能や偵察任務用の装備も視野に入れる必要があった。これに対し、アメリカ国内ではマーティン社のXB-51、ノースアメリカン社のB-45 トーネードと同社製で海軍に採用されているAJ サヴェージが候補にあげられた。選考の迅速化のため、数値の達成は国内機で選考し、その後追加任務も含め外国産の機体と選考することとなった。外国産の機体にはアヴロ・エアクラフト・カナダ社製のCF-100 カナックと、まだイギリス空軍で運用が開始されていないイングリッシュ・エレクトリック社製のキャンベラが含まれていた。航空作家のビル・ガンストンとピーター・ギルクリストは、「この最初の選考では、アメリカ人はキャンベラが要求に対して理想的だと確信しているようだが、上院を満足させるために全ての有望な候補者を競争させるための評価が行われた」と述べている。 選考の一環として、5種の航空機すべてに一連の飛行試験が課され、その性能が判定された。1951年2月21日、ローランド・ビーモントによってキャンベラB.2 WD932号機が大西洋を横断飛行し、米国に到着して選考会に参加した。この飛行により、WD932号機は大西洋の横断を無着陸無給油で飛行した初のジェット機となった。2月26日には試験飛行がメリーランド州プリンスジョージ郡のアンドリュース飛行場で行われた。各航空機は10分の飛行で一連の操作を実行し、競合他社に対する機敏性と能力を直接実証した。ガンストンとギルクリストによれば、キャンベラは競合する航空機のどれよりもはるかに優れていることが証明され、その能力は選考会の終わりまで疑いの余地がなかった。
※この「要求と選考」の解説は、「B-57 (航空機)」の解説の一部です。
「要求と選考」を含む「B-57 (航空機)」の記事については、「B-57 (航空機)」の概要を参照ください。
- 要求と選考のページへのリンク