要求と交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 01:42 UTC 版)
「PFLP旅客機同時ハイジャック事件」の記事における「要求と交渉」の解説
PFLPは「革命空港」周辺に集まった世界各国のメディアに対して、パレスチナ問題に対する自らの主張を述べた上で、イスラエルや西ドイツ、スイス、イギリスなどの西側諸国に捕らえられているPFLPメンバーを含む「同胞」(ハイジャックに失敗したエル・アル航空機の犯人のライラ・カリドなどのテロリストを含む)の解放を要求し、「要求が聞き入られない場合は人質もろとも航空機を爆破する」と通告した。 これに対して、スイスやイギリス、西ドイツの各政府は9月8日にはPFLPとの交渉を開始したが、PFLPの存在を公式に認めていないイスラエル政府は交渉のテーブルにつくことを拒否したために、イスラエル政府の事実上の代理として国際赤十字委員会らがPFLPとの交渉にあたることになった。交渉期限は9月10日までとされたが、9月10日の当日までに国際赤十字委員会からの要請に答えるものとして爆破期限は72時間延長された。 自国機をハイジャックされたアメリカ政府はリチャード・ニクソン大統領やヘンリー・キッシンジャー国務長官の指示の元、地中海に展開するアメリカ海軍の第6艦隊やトルコのインシルリク空軍基地に展開する航空部隊を臨戦状態に置いたことをあえて発表し、PFLPに対して軍事的恫喝を行ったが、実際には攻撃を行わなかった。 着陸先に指定されたヨルダンはフセイン1世国王の黙認、庇護の下でアンマンにPFLPとPLOの拠点を置かせていた支援者の側面もあったが、ヨルダン国内での軍事的行動を含む好き勝手な活動には不満も募らせていた。その上で国際ハイジャックという世界的問題となる行動を起こし国家と国王を窮地に陥れたことにフセイン1世は激怒し態度を一変させ、ヨルダン陸軍と国王守備隊を中心とした軍隊を「革命空港」の周辺に配置し、PFLPに対して軍事力を背景にした交渉を行った。 なお、9月11日には残る人質のうち女性と子供を中心とした一部が解放され、先に解放された人質達と同じくアンマン市内のインターコンチネンタルホテルへPLO及びPFLPの手により移送され解放されたが、イスラエル人及びユダヤ系の人質と乗務員の計56人は、「政治的な側面」から解放されなかった。
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