西洋の国王とは? わかりやすく解説

西洋の国王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 19:50 UTC 版)

国王」の記事における「西洋の国王」の解説

ヨーロッパには元々は各地域ごとに君主の名称があった。初期神聖ローマ帝国においては君主には国王皇帝大公/公(プリンス)の3つの概念があり、国王のうち教皇から皇帝として承認受けた者のみが皇帝であり、国王とするほどではない小君主が総称的にプリンス呼ばれたヨーロッパ多く皇帝ローマ帝国起源としているのに対し、英語の king のようなゲルマン系の王の名称は血統意味する kin から派生しているため、より血統重視された。皇帝実力のある者が推戴されることが建前であり、このためローマ帝国東ローマ帝国はしばし実力者武力闘争クーデターによって皇帝となり、神聖ローマ帝国では選挙制が維持された。コルシカ島生まれ軍人に過ぎないナポレオン・ボナパルト皇帝即位したのは、王に即位すれば反革命みなされかねないという事情もあるが、皇帝国民から推戴される存在という意識があったことも背景にある。 ゲルマン系の王は元々は戦争時臨時選ばれるもので、これがゲルマンスラヴ系選挙王制つながり前述神聖ローマ帝国帝位選挙制もこれに由来するという事情もあるが、この場合でも王位については、その血統を引くことが選出条件となった。またケルト系タニストリー制でも王の血統を持つ者から選ばれる近代入って新たに独立した国々王制採用した場合多くの国では最初から王が存在しないか、既に王家血統絶えていることが多かったが、その場合でも自国貴族から選ぶより、他国から君主一族招いて王とすることがしばしばあったのも、王となるのは王の血統引いた者といった概念あったからである。また、ゲルマン諸族において別の部族有力者を王に推戴し前例があったことから、血統最優先し他国の者であっても王として迎え入れることを厭わない傾向拍車をかけることとなったヨーロッパではほとんどの場合王朝交代があっても傍系女系血統引いている。 他国から王を迎え入れる場合ドイツ系が非常に多かったが、これは神聖ローマ帝国統一されず、国内王号やそれに準ずる爵位保持する領邦君主多数存在しひいては王位を継ぐにふさわしい家系多数存在したからである。なおかつ神聖ローマ帝国内の小国であるので、そこから王を迎え入れて自国への干渉支配排除できたからである。皇帝実力制・選挙制であるため、過去神聖ローマ皇帝輩出した家系多数存在し逆説的にそういった家系王家にふさわしい血統認識されという事情もある。 王位継承法により女性王位継承認め場合そうでない場合がある。フランスドイツなどサリカ法を採る地域では女性王位継承認めない例が多い。近代では女性王位認める国が増えている。女性の場合女王という。

※この「西洋の国王」の解説は、「国王」の解説の一部です。
「西洋の国王」を含む「国王」の記事については、「国王」の概要を参照ください。

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