製作配給を行うとは? わかりやすく解説

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製作・配給を行う

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 02:24 UTC 版)

東京興映」の記事における「製作・配給を行う」の解説

東京興映は、その設立にあたって常務取締役寺田千代1910年 - 没年不詳)を迎えている。寺田は、東宝営業部から初代社長佐生正三郎1898年 - 1971年とともに新東宝入社し大蔵社長時代には中部支社長であった新東宝興業社長岩垣寺田同年代であり、九州新東宝八木同期中部新東宝桑原5歳であった同社札幌市北海道支社を置き、支社長には北海道新東宝山岸大蔵社長時代部下としていた船橋六郎就任したこのようにして東京興映は、旧・新東宝最後エース監督であった小森白が製作、営業畑の重鎮であった寺田配給それぞれ責任者として持った会社であった。したがって自社でもブッキングが可能であったが、1964年4月16日大阪設立され新東宝興業関西(代表・一ッ家貞治現在の新東宝映画)と配給提携するパターン多かった同社同様に新東宝興業配給提携行った映画西原儀一によれば東京興映は「新東宝映画製作部考えた方がいい」「下請けですから。配給はしてませんでした」と回想するが、実際に上記のように営業担当重役を置き、営業支社構えていた。西原は自らの経営支払きっちりしており信用があったのと同様に小森白さんもお金堅いんで」と証言しており、東京興映にも経営に関する悪い評判はなかったという。 小森独立プロダクションとして映画製作開始した当時中部新東宝興業の代表であった桑原正衛は、1965年5月26日関東ムービー配給社設立映画の製作配給開始しており、新東宝興業系列興行地図変化があった。東京興映は、初期においては純粋な配給会社として、前述寺坂プロダクションのほか、宮西四郎宮西プロダクション大西孝典の映建工芸加山恵子加山プロダクション上松宗夫の上プロダクション等の製作物配給することもあった。三田浩の東京企画祖父江羊己の中映プロダクションですでに監督として作品発表していた大野裕司1935年 - )が、同年同社助監督として入社、翌1967年昭和42年)には監督昇進同社ではおもに「橘明」「堀越善明」の名で監督した1965年6月監督第1作あばずれ以来斎藤邦唯1929年 - )の扇映画作品発表していた渡辺護1931年 - 2013年)が、小森渡辺共同製作した渡辺監督第11作情夫情婦』(1967年4月公開)を小森評価し同社入社する。このとき渡辺小森請われ、「戦力となる監督」として山本晋也1937年 - )を推薦している。同年10月公開され美矢かほる谷ナオミ辰巳典子共演した悪道十年』は、小森渡辺山本の3人が監督した作品であり、同作企画渡辺立案したのである

※この「製作・配給を行う」の解説は、「東京興映」の解説の一部です。
「製作・配給を行う」を含む「東京興映」の記事については、「東京興映」の概要を参照ください。

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