裁判所前での対峙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 00:47 UTC 版)
午後3時ごろに発刊された新聞報道は、直ちにローランドのリンチの噂を街に広めた。午後4時には警察や政府に注意が喚起された。日暮れ時の7時34分には、数百人の白人がリンチ暴徒として裁判所前に集まっていた。前年には、白人の殺人容疑者がリンチに遭った事件も起きていたことから、保安官に就任したばかりであったウィラード・M・マッカラーは警戒を強めた。マッカラー保安官は、ライフルとショットガンを持った6人の部下を裁判所の屋上に配備し、ローランドの勾留される上階へと続く裁判所のエレベーターを停止させた。残りの部下には階段の上で、侵入者が来れば撃つように指示を与えた。マッカラー保安官は裁判所の外へ出て、暴徒たちに家に帰るよう説得しようとしたが、聞き入れられず追い返された:37–102。8時20分ごろ、3人の白人男性が裁判所に侵入し、ローランドを受け渡すように要求した。外の群衆はすでに警備を大幅に上回っていたが、保安官は侵入者を追い返した:81。 裁判所から数区画離れたグリーンウッド通りにあるガーリーズ・ホテルでは、黒人コミュニティのメンバーたちが集まり、事態の対策を相談していた。前年、同様に殺人容疑者のリンチ事件が起きたことから、ローランドの身にも危険が及んでいると思われた。ローランドのリンチを阻むことには多くが同意したものの、その戦略では意見が割れた。 第一次世界大戦から帰国した若い退役軍人は銃や銃弾を集め、戦う準備をしたが、より年上で、裕福な男たちは武力による衝突は黒人コミュニティにとって甚大なる被害を生むと考え、反対した。このホテルのオーナーでもあったO.W.ガーリーは、後に大陪審の前で宣誓した上で、若者を説得しようとした時のことを語った。それによるとガーリーは、ローランドのリンチは起こらないと主張し、若者を止めようとした。しかし、若者たちはマッカラー保安官が直接彼らに助けが必要だと伝えた、と言った。 午後9時30分、50から60人の黒人たちが、ライフルやショットガンをもち、ローランドを保護するマッカラー保安官のいる裁判所に向かった。弁護士ジェームズ・ルーサーが後に大陪審に提出した資料で、黒人たちはマッカラー保安官の直接の指示を元に行動していたということを、10人の独立した証人と共に証言した。マッカラー保安官は黒人たちに指示を出した事実を否定した。 私は車に乗っている銃を持った黒人たちをみた。マッカラー保安官に、あの黒人たちは問題を起こすよ、と伝えた。マッカラー保安官は彼らと話をしに行った。彼らは車から出て、縦1列に並んだ。W.G.ダグズが殺されたのはボルダー通りと6番通りの近くだった。彼のように権力を持つ人なら、黒人たちを止めて、武装を解除するものだと思っていた。私は警察署長が裁判所の南側の階段の上で話しているのを見た。所長の他に警察官は見なかった。私は歩いて裁判所に入り、マッカラー保安官と彼のドアから15フィートほどの所で会った。彼に、この黒人たちは問題を起こすよと伝えたら彼は、家に帰るように指示したと言った。彼は外に出て、白人たちに家に帰るように伝えた。すると白人たちは、「あいつらはあなたがここに呼んだと言っている」と言った。マッカラー保安官は、「私は呼んでいない」と言うと、黒人たちはそう言ったじゃないか、と言った。 —弁護士ジェームズ・ルーサーの証言 (1921年)
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