被告人の選定
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1946年(昭和21年)1月、被告の選定にあたってイギリスはニュルンベルク裁判と同様に知名度を基準に10人を指名した。執行委員会の4月4日会議では29名が選ばれるが、4月8日には石原莞爾、真崎甚三郎、田村浩が除外された。4月13日にはソ連検事が来日したが、ソ連側は天皇訴追を求めなかった。そのかわり4月17日、ソ連は鮎川義介、重光葵、梅津美治郎、富永恭次、藤原銀次郎の起訴を提案し、そのうち重光と梅津が追加され、被告28名が確定した。 被告人一覧 詳細は「A級戦犯#極東国際軍事裁判に起訴された被告人」を参照 荒木貞夫 板垣征四郎 梅津美治郎 大川周明 大島浩 岡敬純 賀屋興宣 木戸幸一 木村兵太郎 小磯國昭 佐藤賢了 重光葵 嶋田繁太郎 白鳥敏夫 鈴木貞一 東郷茂徳 東條英機 土肥原賢二 永野修身 橋本欣五郎 畑俊六 平沼騏一郎 広田弘毅 星野直樹 松井石根 松岡洋右 南次郎 武藤章
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被告人の選定
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被告人の選定については軍政の責任者が選ばれていて、軍令の責任者や統帥権を自在に利用した参謀や高級軍人が選ばれていないことに特徴があった。理由として、統帥権を持っていた天皇は免訴されることが決まっていたために、統帥に連なる軍人を法廷に出せば天皇の責任が論じられる恐れがあり、マッカーサーはそれを恐れて被告人に選ばなかったのではないかと保阪正康は指摘している。 また、保阪は軍令の責任者を出さなかったことが玉砕など日本軍の非合理的な戦略を白日の下に晒す機会を失い、裁判を極めて変則的なものにしたとも指摘している。この他、天皇の訴追回避については、「マッカーサーのアメリカ国内の立場が悪くなるので避けたい」というGHQの意向が、軍事補佐官ボナー・フェラーズ准将より裁判の事前折衝にあたっていた米内光政に裁判前にもたらされている。
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