蝶々夫人を演じた日本人
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ジェラルディン・ファーラーが蝶々夫人を演じた1911年3月9日のメトロポリタン歌劇場でのマチネーで、マリー・マットフェルドの代役でスズキを演じた高折寿美子(矢野寿美子)は、1914年1月1日から1月25日まで帝国劇場で行われた高折周一・寿美子夫妻の帰朝おみやげ公演で蝶々夫人を演じた。このときの公演は『蝶々夫人』第2幕からの抜粋を周一が編作したもので、全一場『長崎市蝶子夫人侘住居』とプログラムに記されていた。 明治から昭和初期にかけて活躍したソプラノ歌手の三浦環は、この蝶々夫人役を得意とし、その生涯において世界各地で数多く蝶々夫人役を演じた。1915年5月31日に初の日本人による蝶々夫人役としてロンドンのオペラハウスで演じたのを皮切りに、約20年間暮らした海外だけでも2000回以上公演した。現在でも長崎のグラバー園にはその功績を称える三浦の像がある。 他に、蝶々夫人を得意とした日本人ソプラノ歌手には、戦前のヨーロッパで活躍した原信子・喜波貞子(きわ ていこ)・田中路子(1932年にオーストリア・グラーツでデビュー)、同じくヨーロッパで戦中戦後に渡り活躍した伊藤敦子・長谷川敏子(1944年、イタリアミラノ・スカラ座で日本人初の出演)、20世紀後半以降は砂原美智子(パリを拠点)、東敦子(1971年ウィーン国立歌劇場デビュー(日本人初)、1972年メトロポリタン歌劇場デビュー、1978年ボリショイ劇場デビュー(日本人初))、林康子(1972年、蝶々役でスカラ座デビュー)、片野坂栄子(1977年、ミュンヘン国立ゲルトナー歌劇場のプレミエで歌った「蝶々夫人」は絶賛を博し“黄金のばら賞”を受賞。この他、ヨーロッパの各歌劇場にて200回以上もこのオペラを主演) らがいる。 映画では、1954年(昭和29年)にカルミネ・ガローネが監督として、東宝とリッツオーリ・フィルム=ガローネ・プロの日伊合作が製作された。『蝶々夫人』のタイトルロールを当時宝塚歌劇団在団中でタカラジェンヌだった八千草薫が演じ(吹き替えはオリエッタ・モスクッチが担当。)、日本だけでなくイタリアでも大評判をとった。
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