葛城神道とは? わかりやすく解説

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かつらぎ‐しんとう〔‐シンタウ〕【城神道】

読み方:かつらぎしんとう

雲伝神道(うんでんしんとう)


かつらぎしんとう 【葛城神道】


慈雲

(葛城神道 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/24 01:39 UTC 版)

慈雲(じうん、1718年8月24日享保3年7月28日) - 1805年1月22日文化元年12月22日))は江戸時代後期の真言宗僧侶戒律を重視し「正法律」(真言律)を提唱した。雲伝神道の開祖。能書家としても知られる[1]。俗姓は上月氏。法諱飲光(おんこう)。号は百不知童子葛城山人雙龍叟など。慈雲尊者と尊称される[2]

生涯

大坂中之島(現在の大阪市北区)の高松藩蔵屋敷で上月安範の子として生まれ、父の遺言により13歳の時に摂津法楽寺(大阪市東住吉区)で出家、同寺の住職・忍綱貞紀に密教と梵語(サンスクリット)を学ぶ[3]。16歳の時に、忍綱の命で京都に行き、伊藤東涯古学派儒学を学ぶ[3]。翌年に奈良に遊学し、顕教密教神道と宗派を問わず学び、河内野中寺羽曳野市)で秀厳の教えを受けて、戒律の研究を始め、1738年(元文3年)、具足戒を受けた[3]。翌年には忍網から灌頂を受け、法楽寺の住職となったが、2年後に住職を同門に譲った。その後、信濃曹洞宗の僧侶の大梅を訪ねてを学び印可を受ける[3]

1744年(延享元年)、河内の長栄寺東大阪市)を再興して住職となり、初めて戒律の講義を行なったのを皮切りに、高野山近畿の各地で修行と講演を続ける[3]1750年寛延3年)、「根本僧制」を定めて正法律の復興を標榜、有馬の桂林寺で『方服図儀』を著し、袈裟の裁制を正す[3]

1758年(宝暦8年)、『南海寄帰伝解䌫鈔』7巻を著した後[3]生駒山中の雙龍庵という草庵に隠居して研究に専念し、千巻にも及ぶ梵語研究の大著『梵学津梁』を著す。その内容は、密教で行われてきた梵字呪術的解釈を排し、梵語の文法を研究して、梵文で書かれた仏教教典の原典の内容を正しく読解しようとするものであった。この『梵学津梁』の内容は、明治時代に来日したフランス人のサンスクリット研究家シルヴァン・レヴィから高く評価されたほどであった。

雙龍庵巖上坐禅像(部分)

1775年(安永4年)、『十善法語』12巻を著す[3]1776年(安永5年)に河内の高貴寺南河内郡河南町)に入寺した[3]

大和郡山藩主・柳沢保光の支援を受け、高貴寺の堂舎を整備し、この寺を正法律の本山と定めた。保光は慈雲に深く帰依し、慈雲の死後に保光が剃髪した際には、毛髪を高貴寺にある慈雲の墓のそばに埋めたほどであったと伝えられる。

晩年に、独自の神道説を唱え、磐船大神社を根本道場とした。慈雲の提唱した神道は後に雲伝神道(うんでんしんとう)または葛城神道(かつらぎしんとう)と呼ばれた。

1804年、京都の阿弥陀寺でその生涯を終えた。遺体は高貴寺に運ばれ埋葬された。

高貴寺の慈雲霊廟(墓)

雲伝神道

慈雲が主張した雲伝神道は、日本の神道密教に基づく曼荼羅観に一致するとして、専ら密教の教義によって解釈された神道の一派である。葛城神道ともいう[2]。その思想は、当時の儒者や神道家による仏教批判に対抗して、旧来の両部神道の再構築を図ったもので、神道の本義を君臣の大義に置き、夫婦・朋友の道を立てる儒学を批判し、日本は聖人の出現を必要としない神国であるとするなど、従来の神仏習合とは異なって復古神道に近い立場を取っている[4]。神道関係の主著は、『神儒偶談』『神道要語』『神道国歌』『神勅口伝』『天の御蔭』など。

著書

  • 『梵学津梁』
  • 『十善法語』(国立国会図書館デジタルコレクション - 十善法語
  • 『方服図儀』(国立国会図書館デジタルコレクション - 方服図儀 : 略本.巻上、同左 巻下
  • 『神儒偶談』(国立国会図書館デジタルコレクション - 神儒偶談. 、同左
  • 『慈雲尊者墨蹟集成』、三浦康広編、思文閣出版(3巻組)、1989年、ISBN 978-4784205639
  • 『慈雲尊者全集』、長谷宝秀[5]編、思文閣出版(全19巻組)1977年

研究書籍

関連項目

脚注・出典

  1. ^ 高貴寺には慈雲が使った特太のが発見、修復されている。「高僧・慈雲愛用 特太筆を修復 生誕300年で」『日本経済新聞』夕刊2018年11月5日掲載(社会・スポーツ面)の共同通信配信記事。2018年11月7日閲覧。
  2. ^ a b 総合仏教大辞典編集委員会(編)『総合仏教大辞典』法蔵館、1988年1月、98頁。 
  3. ^ a b c d e f g h i 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典 第3巻』岩波書店、1984年4月、144頁。 
  4. ^ 國學院大學日本文化研究所編『神道事典』弘文堂, 1999, 431頁
  5. ^ ハセホウシュウ、1869 - 1948年、京都専門学校(1949年から種智院大学

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