著者自身による解説
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序文で、この草稿は「演劇的想像力の方へ」というタイトルの脚本草稿シリーズ連載企画の第一弾であったが、結局「へるめす」誌上にこの趣向の作品は本作一編しか掲載されなかったと明かされる(ちなみに、この次に連載された大江作品は小説『キルプの軍団』)。また、本作は特定の製作プロジェクトのために書かれたわけではないし、舞台脚本か映画脚本かも未決定であるとも。
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著者自身による解説
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「クォンタム・ファミリーズ」の記事における「著者自身による解説」の解説
刊行前のTwitter上の発言では、著者の東はこの作品について「内容は村上春樹+CLANNAD+「存在論的、郵便的」のマッドSFと言ったところでしょうか」と述べている。三島賞受賞後のエッセイでは、(あえて分類するならば)「現代的でネット的な世界観(ゲーム的世界観)と想像力(マルチエンディングとデータベースの想像力)を前提として、それでもさらに文学の伝統と繋げるかのように、アクロバティックな道具立てを駆使して作られた変わった「私小説」」としており、また執筆の基底にあるのは現実に自分に娘ができたことで、その現実そのものがあまり非現実的で信じられないために、もう一人の自分の人生を疑似体験するためにこの小説を書いた、従ってこれは「私小説でありながら、まったく私小説ではなく、「私」をむしろ複数の世界を横断するキャラクターの断片に分解してしまうような小説だ」と解説している。 「データベースの想像力」や「ゲーム的世界観」は東が『動物化するポストモダン』や『ゲーム的リアリズムの誕生』で主題としていた考えだが、東はまた『クォンタム・ファミリーズ』を東の最初の著作『存在論的、郵便的』の続編であるとも述べている。『存在論的、郵便的』はフランスの思想家ジャック・デリダの思想を、否定神学的な外部性を排除するために「郵便的」と名づけたネットワーク的な観点から読解するもので、東は特にここで取り上げた固有名に対する問題意識がこの作品に受け継がれていることを強調している。 すなわち、言語外の実在物へ「名指し」に根拠を置くクリプキらの固有名論は、虚構の存在(キャラクター)の固有名を考えたとき限界をしめす。固有名に独自性をもたらすには実は実在物への名指しではなく、名指しがあったかのように我々錯覚させる「ネットワークの効果」であり、従ってキャラクターが固有名を持つのは実は二次創作(「もしかしたら別の行動をしていたかもしれない」)の結果であってその逆ではない。言い換えれば、登場人物は物語の外に出ることによって固有名を獲得する。そして東はこの考えから、作品の最後に「物語外2」として虚数をしめす「i」の番号を振られている章「汐子」を、コンピュータ上の仮想人格である汐子(この名前は前述の『CLANNAD』に登場する主人公の娘「汐」に由来するとともに、このキャラクターにあやかって付けられた東の実子の名「汐音」に由来する)によって書かれた、この物語に対する二次創作として置かれているのだということを明かしている。
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