華僑・香港・シンガポール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:42 UTC 版)
「中国の貨幣制度史」の記事における「華僑・香港・シンガポール」の解説
19世紀前半から中国からの移民が急増した。初期の移民は単身の出稼ぎが多く、華工(中国語版)や苦力と呼ばれて重労働に従事した。こうした華僑は本国の家族に定期的に送金をしており、また本国に投資をする華商も出るようになり、中国経済に影響を与えた。特に東南アジアからの華僑送金は、華北・華中からの入超だった華南の経済をおぎなう効果もあった。広州、シンガポール、サイゴン、バンコク、サンフランシスコ、シドニーなどからの送金が香港を中継した。 華僑の送金は大きく分けて4種類あり、(1)郵便送金。(2)帰国者の携帯。(3)移民の斡旋人が仲介する送金。(4)華僑の送金機関である民信局となる。民信局は郵便局と為替銀行の面をもっており、貿易を兼業する者もいた。民信局の送金方法は、現金・為替・商品などがあり、複雑な過程をへていた。たとえば為替送金は二重為替の香港を中継しており、(1)送金依頼者が東南アジアの現地通貨で送金を求める。(2)東南アジアの送金側民信局は香港の支店に連絡し、華南の受け取り側民信局に支払うように指示する。(3)送金側民信局は、相当額の集積があった時か、為替相場が有利になった時に送金するという手順だった。この送金ネットワークは印僑による東南アジアからインドへの送金も行なっており、金融によって東アジア・東南アジア・南アジアを連結する効果もあった。 香港ドル 開港後の香港では秤量貨幣と計数貨幣が混在しており、以下のような貨幣が流通していた。 ドル銀貨:メキシコドル・スペインドル(英語版) スターリング・ポンド:イギリスや東インド会社の金銀貨幣 銀両(銀貨)・銅貨:清で発行された貨幣 香港の植民地当局は全てを合法としたが、イギリス植民地省は英国通貨のみを合法とした。しかし実際にはほかの貨幣も流通し、なかでも貿易銀として流通していたドル銀貨を中心とするようになる。このためイギリス植民地省はドルを法定通貨に定めた。香港上海銀行・チャータード銀行(英語版)・チャータード・マーカンタイル銀行(英語版)が紙幣(銀行券)の発行を認められ、やがて外国貨幣の流通が禁止されて香港ドルのみとなった。華南各地の決済は貿易を中心に香港を介して行われるようになり、香港ドルの決済圏が形成されていった。決済は香港ドルだが、華南での実際の取り引きには広州の貨幣が使われ、銀号が交換を行った。 香港は同じくイギリス植民地だったシンガポールと密接な関係にあった。香港は二重為替によって金建て取引と銀建て取引を仲介し、銀本位制の中国と金本位制の諸外国を中継した。シンガポールは東南アジアの貿易や為替の中継地となった。のちに香港は中国が銀本位制を停止するまで銀にリンクし、シンガポールは金為替本位制を採用した。香港では1840年代からカリフォルニア移民が急増し、銀鉱山や金鉱山、鉄道の労働者となったアメリカからも送金を行なった。1910年代には華人資本による近代的な銀行業への参入があいついだ。広東系の廣益銀行、潮州系の四海通銀行、中国交通銀行、福建系の華僑銀行、シンガポール系の利華銀行(中国語版)などがある。
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