華僑の増加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
華僑は東南アジア各地で定住が増え、中国人街が建設される。移住の大規模化には、海運と通信の向上が大きな影響を与えた。また、輸送サイズの大型化や頻度の増加、働き口や賃金の情報の早さも重要であった。タイのアユタヤ朝は華商に貿易を委託し、磁器、絹、木材、米、インド更紗などを取り引きした。アユタヤ朝が滅んだのちはチャオプラヤー川のデルタ地帯がサトウキビや米のプランテーションとなり、18世紀には潮州人がタイの王室貿易を独占した。フィリピンでは華僑がメスティーソを形成して、18世紀から国内商業の中心となる。スペインはカトリックの布教も目的としており、改宗と引き換えに中国人商工業者に土地を与えた。ジャワではプラナカンと呼ばれる集団が形成され、プラナカンの商人はオランダ東インド会社と取り引きを行った。マレー半島ではババ・ニョニャと呼ばれる集団が生まれ、ババの多くは豊かな貿易商人として住宅街や商工街を建てた。
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