華僑粛清命令と昭南警備隊編成
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「昭南憲兵隊」の記事における「華僑粛清命令と昭南警備隊編成」の解説
1942年2月18日、第25軍司令部はマレー半島およびシンガポール島内反日華僑の粛清命令を出した。シンガポール島を除くマレー半島は第5師団(師団長・松井太久郎中将)、シンガポール市郊外は近衛師団(師団長・西村琢磨中将)、シンガポール市内は、第5師団第9旅団長・河村参郎少将を司令官として粛清工作のために新設された昭南警備隊が担当することになり、同隊は、第25軍憲兵隊の憲兵約200名と、第9旅団の歩兵を前身とする補助憲兵2個大隊および戦車・装甲車隊各1個隊で編成された。 第25軍憲兵隊の各分隊長は、同日夕刻、フォートカニングの憲兵隊本部で大石隊長から命令を下達され、同月19-20日にかけて中国系住民を適当な広場に集合させ、21-23日にかけて検問を実施、23日に軍司令部からの「厳重処分」命令を受けてチャンギー路付近(英語版)、ブランカンマテ島ほかで補助憲兵が被選別者を殺害した。
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