華北での共産党勢力の伸長とは? わかりやすく解説

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華北での共産党勢力の伸長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 14:40 UTC 版)

百団大戦」の記事における「華北での共産党勢力の伸長」の解説

日中戦争の勃発後、日本陸軍華北一帯占領下置いたが、中国国民党政権系の軍が撤退した後の権力の空白乗じて勢力伸ばしたのが中国共産党だった。開戦前山西省閻錫山国民党帰順)と提携していた中国共産党は、日本陸軍進攻によって閻錫山第2戦区軍が陝西省退避すると、後に残って山西省根拠地化を図った河北省でも、共産党軍が、国民党政権から冀察戦区司令官任じられていた鹿鍾麟攻撃して追放してしまった。山西省占領中の日本第1軍は、1940年4月から6月にかけて、晋南地域に残る衛立煌第1戦区軍を攻撃したが、このときも中国共産党日本軍の進撃後を追うように勢力圏広げた中国共産党部隊である八路軍は、建前上は国民革命軍一部として国民党政権指揮下の共同部隊であったが、実際に他の国革命軍部隊赤化工作や、民兵組織積極的に行って、独自の戦力養成努めた1940年春には、山西省展開していた国民党系の第97軍のほとんどを吸収していた。八路軍装備迫撃砲機関銃程度範囲ではあるものの次第充実しヘルメット着用した兵士増えている。兵の練度向上してきた。しかし、八路軍は「政治七分軍事三分」を標榜し前述のように国民党政権軍の戦闘積極的に協力せず、日本軍との直接交戦避けることを基本としていた。 日本陸軍は、1940年には共産党勢力拡大危惧しており、徐々に八路軍への攻撃増やしていった。北支那方面軍は、昭和15年粛正建設計画の中で、共産党軍重点攻撃対象定めていた。もっとも北支那方面軍属す第1軍は、前述のように国民党政権正規部隊撃破依然として重視していた。

※この「華北での共産党勢力の伸長」の解説は、「百団大戦」の解説の一部です。
「華北での共産党勢力の伸長」を含む「百団大戦」の記事については、「百団大戦」の概要を参照ください。

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