草戸千軒町遺跡とは? わかりやすく解説

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くさどせんげんちょう‐いせき〔くさどセンゲンチヤウヰセキ〕【草戸千軒町遺跡】

読み方:くさどせんげんちょういせき

広島県福山市草戸町芦田川河川敷昭和36年1961)の発掘調査により確認され中世集落遺跡港町ないし市場町推定され延宝元年(1673)まで数度にわたり水没木簡呪符なども発見され中世庶民生活と地方都市に関する重要な遺跡として注目される


草戸千軒町遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/03 21:03 UTC 版)

草戸千軒町」の記事における「草戸千軒町遺跡」の解説

江戸時代初期備後福山藩 水野家の入封時に流路改修が行われるまで芦田川は今では廃川となった鷹取川方面現在の福山駅前方面へ流れ流路本流であり、当地土砂堆積した中州地帯の上にできた。今日光景からは想像しがたいが江戸期大規模な干拓事業が行われるまでは今の野上町付近より南東瀬戸内海直接面していた。昭和時代後期20世紀末)まで草戸千軒町遺跡芦田川と旧鷹取川分かれる中州付近にあったが、遺跡大部分昭和初期に国により行われた芦田川洪水対策工事のために拡張浚渫工事取り除かれた。また推定であるが芦田川東岸河川敷にも遺跡存在する可能性があり事実草戸町1丁目付近の古道沿いの水路などにその痕跡が残る。遺跡からの出土遺物広島県立歴史博物館保存・展示されていて国の重要文化財指定されていて同博物館には往時草戸千軒町町並実物大ジオラマ一部再現されている。なお、往時には瀬戸川河口広がる沖積地に町があり、東方には福山湾が広がっており交通の要所にあったことから発展した見られている。 また、遺跡からは多く栽培植物出土している他、4千点にものぼる大量の「中世木簡」(室町期)が出土しており、1982年には正式報告書草戸千軒 木簡一』として紹介されている。

※この「草戸千軒町遺跡」の解説は、「草戸千軒町」の解説の一部です。
「草戸千軒町遺跡」を含む「草戸千軒町」の記事については、「草戸千軒町」の概要を参照ください。

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