くさどせんげんちょう‐いせき〔くさどセンゲンチヤウヰセキ〕【草戸千軒町遺跡】
草戸千軒町遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/03 21:03 UTC 版)
江戸時代初期の備後福山藩 水野家の入封時に流路改修が行われるまで芦田川は今では廃川となった旧鷹取川方面や現在の福山駅前方面へ流れる流路が本流であり、当地は土砂が堆積した中州地帯の上にできた。今日の光景からは想像しがたいが江戸期の大規模な干拓事業が行われるまでは今の野上町付近より南東は瀬戸内海に直接面していた。昭和時代後期(20世紀末)まで草戸千軒町の遺跡は芦田川と旧鷹取川が分かれる中州付近にあったが、遺跡の大部分が昭和初期に国により行われた芦田川の洪水対策工事のために拡張・浚渫工事で取り除かれた。また推定であるが芦田川東岸の河川敷にも遺跡が存在する可能性があり事実、草戸町1丁目付近の古道沿いの水路などにその痕跡が残る。遺跡からの出土遺物は広島県立歴史博物館で保存・展示されていて国の重要文化財に指定されていて同博物館には往時の草戸千軒町の町並が実物大のジオラマで一部再現されている。なお、往時には瀬戸川河口に広がる沖積地に町があり、東方には福山湾が広がっており交通の要所にあったことから発展したと見られている。 また、遺跡からは多くの栽培植物も出土している他、4千点にものぼる大量の「中世木簡」(室町期)が出土しており、1982年には正式報告書『草戸千軒 木簡一』として紹介されている。
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