草創期〜1980年代
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「九鬼 (アダルトビデオ)」の記事における「草創期〜1980年代」の解説
1977年4月設立。オーナーの中川徳章をはじめ、社員には寺山修司率いる天井桟敷の出身者が多かったという。当初は自販機本最大手だったアリス出版の下請け編集プロダクションだったが、1978年頃から独自に出版を手がけるようになり、「LANDA-S.S.」や「LANDA-G.R.」といったブランドで自販機本やカセット・ブックを制作、「GAL/PRESS(ギャル出版)」の名前で看板雑誌「Sister」を発行していた。その後「九鬼(KUKI)」の名前を前面に出してビニ本の制作を始め、グリーン企画(後の白夜書房)やハミング社(宇宙企画)、群雄社出版(VIP)と共にビニ本大手として並び称されるようになった。 ビデオ制作は1980年代初頭より「LANDA-S.S.」として手掛けてはいたが、1983年には出版業からビデオメーカーに業態を転換し、「九鬼」ブランドで本格的な制作を始めた。「九鬼」としての初リリース(1983年6月)は、ラブホテルの流出ビデオを編集した『消し忘れビデオ』(監督:田中勉)と、裏ビデオをダイジェストした『裏ビデオ通信』(監督:奥出哲雄)の2作品で、ストーリーもの、素人本番ものが中心だったAV市場の中では異彩を放ち、大ヒットとなった。その後も、プライベートビデオ愛好家の作品を編集した『プライベート・ビデオ・チャンネル』シリーズや、伊勢鱗太朗の『風俗ギャル通信』などのユニークな企画ものを送りだした。 1984年8月には宇宙企画、VIPのようなAV女優による「本番」路線へと踏み出し、森冬美『冬美の本番』、杉田とも子『とも子の本番』、香坂和子『和子の本番』などのシリーズ作品が好セールスを記録した。1985年には当時を代表する美形AV女優・中川えり子がデビュー。デビュー作の『えり子の本番』は大ヒットとなり、中川は九鬼で多くの作品に出演を重ねた。また同年には日本の代表的AV監督の1人である豊田薫が元オールナイターズ・高野みどりの『少女うさぎ 腰ひねり絶頂!?』でデビューした。 1980年代後半に入ると、それまで企画ものを主に手がけてきた伊勢鱗太朗が頭角を現し、漫画家(平口広美、蛭子能収)やミュージシャン(JAGATARAのOTO)、俳優(田口トモロヲ)、ゲイといった異分子を取り込んだ、ドラマと現実が交錯する作品づくりで注目を浴びた。またこの時期には、ウルトラシリーズの演出で知られた実相寺昭雄が九鬼で『アリエッタ』『ラ・ヴァルス』等の作品を制作し、特に『アリエッタ』は同社の1989年の年間トップの売り上げを記録するヒットになった。
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