草創期の三指導者の経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 13:59 UTC 版)
「モデクゲイ」の記事における「草創期の三指導者の経歴」の解説
タマダッド(Tamadad) モデクゲイの教祖で、宗教名は「エラメレエダン(Eramerechedang、神事を早くやる人の意)」である。若い頃はドイツ植民地当局のもとで民兵(日本統治下における巡警に相当)を務めており、ドイツ的な教育を受けていたため、キリスト教に関する知識もある程度得ていた。民兵退役後は、母の実家のあるアコール集落に住み、集落の長老格となっていた。モデクゲイ創始時には既に高齢に達しており、1924年(大正13年)に死去した。 オゲジ(Ongesi) モデクゲイの二代目指導者で、宗教名は「クルエイ(Kuruchei、神事は一番の意)」である。タマダッドの妹の夫であったが、間もなく離婚している。気性が荒く、性的に放縦だったため、しばしば日本官憲よりカルト指導者扱いされ、何度も投獄されている。1941年(昭和16年)の投獄時には、「私は米の弁当を持っていくが、帰るときにはパンの弁当を持つだろう」と述べ、日本の敗戦とアメリカの勝利を予言したという。サイパン戦直前に釈放されていたが、戦後に友人と口論となり勢い余って殺してしまったため、それを苦に自殺した。オゲジ本人は予言に反してパラオに戻ることはなかった。 ルグール(Runguul) モデクゲイの三代目指導者である。タマダッドとは民兵時代の同僚であり友人関係にあった。1941年(昭和16年)の摘発時には、彼は逮捕されなかったため、オゲジ亡き後のモデクゲイ教団を支えることになった。ルグールは日本統治時代に問題になっていた男女関係の改善に乗り出し、次のアメリカ当局からは「ピューリタン的道徳律」とまで評されることになった。1965年頃に死去した。
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