草創期の職員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 07:19 UTC 版)
新設された海上保安庁への旧日本海軍幹部の入庁は、海軍幹部が公職から追放されていたため、航路啓開(掃海)部門等を除いて基本的になかった。代わって、警察機構を有していた旧内務省出身者、警察官や海事の専門家として東京・神戸の高等商船学校出身者が多く入庁した。特に保安官については、トップの三田一也(元海軍中佐)警備救難監以下、高等商船学校出身者が幹部を占めた。高等商船学校出身者は、海軍予備員として大戦中応召し士官として海軍に属していたが、海軍兵学校出身の現役将校等に比べて、激戦地において過酷な輸送任務を強いられたため多大な戦死者を出していた。そのため高等商船学校出身の海軍予備士官と海軍兵学校出身の兵科現役士官の派閥は、極めて険悪な状態が長らく続いていたといわれていた。なお海軍出身の者は、その殆どが海上警備隊(後の海上自衛隊)の創設と共に海上警備隊に移った。しかし現在では、高等商船学校出身者も海軍兵学校出身者もすでに定年を迎え、近年の不審船事件やテロリズム、 ソマリア沖海賊、尖閣諸島周辺海域における中国船による領海侵入等の問題など、海自・海保ともに共通で対処しなければならない事案が増えてきたため、情報共有や共同訓練が行われ関係は良好となっている。
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