草創期の国際大会 - アルゼンチン勢との対決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 04:33 UTC 版)
「クルブ・ナシオナル・デ・フットボール」の記事における「草創期の国際大会 - アルゼンチン勢との対決」の解説
この時代のナシオナルは国際大会でも活躍した。当時、アルゼンチンサッカー協会(AFA)とウルグアイサッカー協会(AUF)は、両国のカップ戦王者同士が対戦するタイ・カップ(Tie Cup)とコパ・デ・オノール・クセニエール(Copa de Honor Cusenier)を共催していた。ナシオナルはウルグアイの代表としてこれらの大会に何度も出場しており、タイ・カップで2回(1913, 1915)、コパ・デ・オノール・クセニエールでは歴代最多の4回(1905, 1915, 1916, 1917)の優勝を遂げた。1916年には、アルゼンチンとウルグアイの国内リーグ王者同士が対戦するコパ・アルダオの国際タイトルも獲得した。コパ・アルダオは、後のコパ・リベルタドーレスの礎となった大会である。この大会でナシオナルはウルグアイ勢最多となる5回の優勝を記録した。当時の国際大会におけるナシオナルのライバルは、ラシン・クルブ、ボカ・ジュニアーズ、リーベル・プレート、インデペンディエンテ、アルムニなどであった。
※この「草創期の国際大会 - アルゼンチン勢との対決」の解説は、「クルブ・ナシオナル・デ・フットボール」の解説の一部です。
「草創期の国際大会 - アルゼンチン勢との対決」を含む「クルブ・ナシオナル・デ・フットボール」の記事については、「クルブ・ナシオナル・デ・フットボール」の概要を参照ください。
- 草創期の国際大会 - アルゼンチン勢との対決のページへのリンク