草創期 ブルーリッジ山脈越え
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 03:37 UTC 版)
「チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道」の記事における「草創期 ブルーリッジ山脈越え」の解説
C&Oの起源は、バージニア州ルイーザ郡のルイーザ鉄道(1836年開業)と同州ジェームズ川&カナワ運河(1785年開業)である。1950年代および1960年代にC&Oは絶頂期を迎え、150以上の路線を持っていた。 1850年までに、ルイーザ鉄道は東はバージニア州リッチモンド、西は同州シャーロッツビルの路線を建設し、バージニア・セントラル鉄道と改称した。当時、バージニア州は州内の進歩のために各種の補助を施しており、バージニア・セントラル鉄道の株を取得しただけでなく、ブルーリッジ山脈を横断するブルー・リッジ鉄道を設立し、融資もした。ブルーリッジ山脈とはアパラチア山脈の南東側の端部にあり、東海岸から西へ向かう際に最初に立ちはだかる山脈である。 民間の技術者、クラウディアス・クロゼット(Claudius Crozet)の指揮の下、ブルー・リッジ鉄道は4つのトンネルとともに山脈越えの路線を作り上げた。このときに作られた、峠にあるブルーリッジトンネルは長さが4,263フィート(1299メートル)であり、当時としては世界最長のものであった。 同じころ、バージニア・セントラル鉄道はブルーリッジ山脈の西麓から西に向かって線路をひきはじめた。そのルートは、グレート・アパラチア渓谷の一部であるシェナンドー渓谷や、グレート・ノース山を越え、最終的にはアレゲーニー山脈の麓、ジャクソン川駅までたどり着いた。のちのクリフトン・フォージである。 アレゲーニー高地の横断を完遂させるために、バージニア州はコビントン・アンド・オハイオ鉄道という州所有の鉄道会社を作った。この会社はアレゲーニー山脈とその西側でトンネルをいくつも穿つなどして、勾配が緩和された路線を建設した。また、カナワ川沿岸のチャールストン近辺では多くの道路も建設した。その後、1861年に起こった南北戦争により、西に向けての延伸工事はストップした。
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