航空機産業時代
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グレン・カーチス(英語発音ではカーティス)によって1916年に設立されたカーチス・エアロプレーン・アンド・モーター・カンパニー(Curtiss Aeroplane and Motor Company )は第一次世界大戦中に発展した。JN4ジェニーが当時の有名な機体である。1929年7月5日、カーチス・エアロプレーン&モーターやライト兄弟が立ち上げたライト・エアロノーティカル(Wright Aeronautical )など12の別々の会社が合併し、カーチス・ライト社(Curtiss-Wright Corporation)となる。合併当時は7500万ドルの資本金をもち、米国最大の航空機メーカーだった。 一連のホーク・シリーズで米陸軍向け戦闘機の生産を続けた。第二次世界大戦ではP-36戦闘機を開発、米国を含む各国に販売。第二次世界大戦初期にはこれで大成功を収めていた。その後P-40戦闘機を生産。これは商売として最も成功した戦闘機で、トマホーク・キティホーク・ウォーホークと型ごとに愛称がつけられ、1940年から1944年にかけて14,000機近く製造されている。C-46輸送機は従来の連合軍航空機よりも多く積載可能だった。戦争中カーチス・ライト社は総生産数29,000機以上を誇り、製造業全米第2位の地位となった。しかし、P-36、P-40ともに特別高性能ではなく当時の性能面での比較では二流の機体との評価もある。 戦後は、民間航空機用のレシプロ・エンジン、およびプロペラの生産に集中。DC-7やスーパー・コンステレーションなどに使用された。また軍用にはJ65ターボジェットエンジンが長期に生産された。 しかし、ジェット化の波に乗り遅れ、ようやく開発したXF-87ジェット夜間戦闘機は一旦は採用が決定し発注まで行われていたが、生産直前の1948年10月10日に突然キャンセルされた為、社は多大な負債を抱えることになる。このXF-87の採用と発注について、軍部は戦後没落しかかったカーチス・ライト社になんとか存続してもらいたかったため、XF-87の完成度が低いにもかかわらず契約を行ったが、ノースロップ社が製造したF-89ジェット戦闘機が想像以上の出来栄えだったため、生産まで押し切ることができずキャンセルしたのである。結局、カーチス・ライト社は不採算部門となった航空機生産部門をノース・アメリカン・エイヴィエーションに売却し航空機の機体メーカーとしての歴史に幕を引くこととなった。 以降は現在に至るまで、戦後立ち上げた部品供給や生産工程の援助、メンテナンスサービスなどの分野で航空機にかかわり続けている。ノースアメリカンは1967年にロックウェル・インターナショナルと合併したが、1996年にはロックウェル・インターナショナルからボーイングへ売却され、現在はボーイングの一部となっている。
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