自由主義革命の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 02:45 UTC 版)
「エクアドルの歴史」の記事における「自由主義革命の時代」の解説
19世紀後半には、カカオを求める世界の需要が高まり、シエラからコスタまでの商品流通経路が築かれ、同時にエクアドルは世界経済にプランテーション作物を供給するモノカルチャー国家として組み込まれることになった。 モレノが暗殺されると地方間のキトとグアヤキルの対立が深まるが、自由党派のイグナシオ・デ・ベインテミージャ将軍が1876年に政権に就き、独裁政治を行った。しかし、1883年に保守党が反乱を起こすと、残忍な政治手法により自由党からも支持を失っていたベインテミージャは失脚し、ホセ・マリーア・プラシオ・カーマニョによる暫定政権が誕生する。カーマニョは保守的なカトリック擁護政治を行い、1888年に任期を全うした。同年、アントニオ・フローレス・ヒホンが大統領に就任し、自由主義者の政治が再開する。 1890年にはグアヤキルの資本家を支持者に自由党が結成された。1892年にフローレスに続き、同じく保守派のルイス・コルデロが大統領に就任した。1895年5月に日清戦争中の日本に対するチリの軍艦エスメラルダ号売却に際して、「国旗売却事件」のスキャンダルが発覚すると、民衆の不満が爆発し、コルデロ政権は崩壊した。この事件で生まれた政治的空白を利用して1895年に急進派が武装蜂起し、革命評議会が結成されて自由党派のエロイ・アルファロ将軍が大統領に就任した。モレノの独裁に抵抗して中央アメリカに亡命し、「老練な闘士」と呼ばれていたアルファロは、断固として自由主義的な政治を進め、ここにエクアドルの自由主義革命が始まった。アルファロの時代に様々な物事が世俗化され、1897年、1906年の二度の憲法改正による公教育の世俗化や、教会財産の没収などが行われ、1899年には士官学校が創設された。1908年にはアメリカ合衆国の資本でキトとグアヤキルを結ぶ鉄道が建設された。1912年にアルファロは暗殺されたが、カカオ価格の低迷などの困難な状況の中でも、1925年までグアヤキルの自由主義者=金融業者による政治が進むことになったため、この時期を金融寡頭支配層期と呼ぶこともある。
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