自由主義諸国の憲法と社会主義諸国の憲法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 04:00 UTC 版)
「人権」の記事における「自由主義諸国の憲法と社会主義諸国の憲法」の解説
18世紀から19世紀にかけて資本主義は急速に発展したが、それとともに諸々の社会的矛盾が現れ始めた。自由競争は社会の進歩をもたらすが、それが正義感覚で是認されるためには競争の出発点は平等でなければならない。産業革命の進展に伴って大量生産時代が普及するとともに生産手段を持たない労働者の数が増大したが、このような無産階級の人々にとって憲法の保障する財産権や自由権の多くは空しいものに過ぎなくなり、自由主義理念に基づく自由放任経済は著しい富の偏在と無産階級の困窮化をもたらした。国家は社会的な権利を保障するため積極的に関与することを求められるようになった。 そこで20世紀の憲法にはヴァイマル憲法の流れをくむ自由主義諸国の憲法とソビエト連邦の憲法などの社会主義諸国の憲法の2つの流れを生じた。 1919年のヴァイマル憲法は「社会国家」思想または「福祉国家」思想に基づき生存権や労働者の権利といった社会的人権を保障した最初の憲法である。ふつう自由主義諸国においては「自由国家」と「社会国家」の共存が理想とされている。 一方、社会主義諸国の憲法は本質的に自由主義諸国の憲法とは異なっていた。自由権の権利保障の場合、単に抽象的な自由を保障するのではなく、自由権の行使に必要な物質的条件の保障もあわせて定められているという特色がある。また、1936年のソビエト社会主義共和国連邦憲法は、市民の消費の対象となる物の所有及び相続は認めていたが、土地や生産手段などの私的所有は禁じていた。 しかし、ブルジョア民主主義を経験しなかったロシアや東欧諸国などの社会主義諸国においては憲法そのものが十分に機能せず、そこで保障されていた権利や自由も画餅に帰していた。結局、一党独裁や硬直した官僚主義などの要因によって旧ソ連や東欧の社会主義国家は行き詰まり、これらの国々の憲法も効力を失うこととなった。ただそこでの権利保障の発想は自由主義諸国の憲法にも影響を与えたとされている。
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