背後関係に関する議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 16:10 UTC 版)
「ドイツ国会議事堂放火事件」の記事における「背後関係に関する議論」の解説
事件の背後関係については当時から議論があった。その一つは『褐色の書』をはじめとする、放火事件は一党独裁を目指すナチス党によって仕組まれた自作自演であるとするものである。 当時のアネクドートにもこの事件を扱ったものがある。 Q.「国会議事堂に火を放ったのは誰か?」A.「それはザース兄弟だ。」ベルリン出身のザース兄弟(Brüder Sass)は銀行破りを度々働いた末にコペンハーゲンで逮捕された。兄弟はドイツに送還されて有罪判決を受け、1940年にザクセンハウゼン強制収容所への移送中に「抵抗を図ったため」射殺された。名字のザースを前後に分けるとSA・SSとなる。 戦後のニュルンベルク裁判で、フランツ・ハルダーが「ゲーリングは周囲に『国会に火を付けたのは俺だ』と語っていた」と証言したこともこれらの陰謀説を強化した。この説は『第三帝国の興亡』を書いたウィリアム・シャイラーやアラン・ブロックなどの歴史家も踏襲した。 一方で、国会議事堂に到着したヒトラーが「神よ、どうか共産主義者の仕業でありますように」と発言したという『デイリー・エクスプレス』紙特派員セフトン・デルマーの証言がある。デルマーは、これについてヒトラーが事件の真相を知らなかったものと解釈している。ヒトラーと交流のあったエリック・ヤン・ハヌッセンはこの事件の予言を的中させたことで人気が高まった。 1963年、フリッツ・トビアス(ドイツ語版)は著書『Der Reichstagsbrand – Legende und Wirklichkeit』(国会炎上 ―神話と現実―)の中で詳細な研究を行い、ルッベ単独犯行説を唱えた。この著書に対して、ナチス犯行論の立場から反論が行われたが、その際に提出した史料の多くは、偽造の疑いが濃いことが判明している。1964年には現代史家のハンス・モムゼン(ドイツ語版)は論文『Der Reichstagsbrand und seine politischen Folgen』(国会炎上と政治的影響)を書き、トビアスの説を補強した。これ以降に『アドルフ・ヒトラー』を書いたジョン・トーランドもその見解を採用している。 1981年、西ベルリン裁判所はルッベの有罪判決を覆し、無罪判決を下した。ただし、これはナチス政権下での判決を不当としたものであり、放火の実行犯であることを免罪したものではない。また、1998年成立の「ナチスによりなされた不当な刑事裁判の判決を廃棄する法律」で、ナチスの不当な人民法廷での裁判や法の不遡及の原則に反した判決が取り消された。
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