背後部の銃傷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:17 UTC 版)
「ケネディ大統領の検死」の記事における「背後部の銃傷」の解説
ベセスダ海軍病院の検死医たちは、ケネディの首の根元かつ肩甲骨の上にある銃創(射入口)を調べようとしたが、舌骨下筋を通過していたため失敗した。彼らは検死中、頸部前面の射出口に気付いておらず、結果として射創の完全な解剖や探索は全く行われなかった。初療に当たった救急医たちが気管切開を行った為、射出口が分からなくなってしまっていた。 大統領の検死報告書であるWarren Exhibit CE 387では、ベセスダでの検死結果として、背中の創は6 by 4ミリメートル (0.24 in × 0.16 in)の楕円形で、右肩峰突起(英語版)先端から14センチメートル (5.5 in)・右乳様突起の下14センチメートル (5.5 in)の「肩甲骨上縁のすぐ上」("above the upper border of the scapula") に位置していたと記録している。 ベセスダでの剖検報告書の結語には、「もうひとつの飛翔体[背後からの銃弾]は右肩甲骨の上かつ胸椎の右上後方から入り、頸部右側の肩甲骨上・鎖骨上軟部組織を横断した」("[t]he other missile [the bullet to the back] entered the right superior posterior thorax above the scapula, and traversed the soft tissues of the supra-scapular and the supra-clavicular portions of the base of the right side of the neck.") と書かれている。 報告書にはまた、鎖骨上の右肺尖部に肺挫傷があったとあるが、損傷は右肺尖部や壁側胸膜に及んだものの、貫通まではしていなかったと記されている。この記述は射創が挫傷の近くを通ったが、上を通ったわけではないことを示唆しており、また胸腔には貫通創はなかったことも記されている。 この銃弾は、右肺尖部壁側胸膜と、右上葉肺尖部の挫傷両方を作った。銃弾は右側の舌骨下筋を損傷し、気管を傷付け、頸部前面から出て行ったと考えられる。 ウォーレン委員会報告書で取られた「銃弾はひとつ」説では、弾丸1発が第6頸椎を損傷したと結論付けているが、この結果は耳(乳様突起)の下5.5インチ (14 cm)という記述と合致する。ウォーレン報告書では第6頚椎の高さが銃弾の射入口だと結論付けてはいないが、1979年にアメリカ合衆国下院暗殺調査特別委員会(英語版)が作成した報告書ではこの結論が採られた。下院暗殺調査特別委員会の報告書では、ベセスダ海軍病院で撮られたレントゲン写真に第6頚椎の損傷が写っていたものの、ベセスダの検死医たちが見逃したことを指摘している(このレントゲンはアメリカ海軍の医療部隊司令官ジョン・H・エバーソール(英語版)によって撮られた)。 これらの見逃しはあったが、ウォーレン委員会報告書に含まれているベセスダ検死報告書の原典でも、弾丸は肩甲骨上のレベルから肺(壁側胸膜と肺尖部)を抜け、喉頭部下端から出る形で大統領の頸部を貫通したと結論付けている。
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