美の自律性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 18:14 UTC 版)
美を独自美の感受が感性的なものに直接関わることから、美が善や真とは違う領域であることは、古代から意識されてきた。プラトンには詩があたえる見かけの快さと真のよさの区別についての議論がみられる(『国家』)。人間の理性的能力の分類はすでにアリストテレスによって行われているが(『ニコマコス倫理学』、そこでは真理を知る能力としての知、倫理的実践を行う能力としての思慮、ものを作り出す能力としての技術知が区別される(ただしここでは技術知はとくに美しいものだけに関わる能力ではなく、制作一般の能力である)。しかし古代には美が独自の領域であるという主張は積極的にはなされなかった。 美が固有の能力であるとする立場の確立は、感性に独自の尊厳を与える試みと並行している。アルフレッド・ボイムラーは17世紀を「感性の時代」と呼び、この時代の感覚論や趣味論に、後の美的自律性の把握の契機を見ている。 カントによって美の自律性(ド Autonomie)は確立する。カントは美と道徳の関係を主張したが、しかし各領域の自律性の確立が伝統的な価値領域のもっていた緩い交流を寸断したことは否定できない。フリードリヒ・シラーはこうしたカントの厳格主義に抵抗を感じ、美と倫理の積極的な関係を主張した(『美的教育論』など)。美学者クーノ・フィッシャーはシラーの試みを「人間論的美学」と呼んでいる。しかし全体としては、美の自律性を主張し擁護する動きが近世から近代にかけては主流となる。こうした傾向は多様な美を表現する可能性を芸術家に開いたものの、その表現が時代にとっては受け止めがたくなるという副産物を伴った。その反動として、現代芸術においては、ふたたび社会と芸術の接近がいかにして可能であるかが問われている。しかしテーゼとしての美の自律性は、ほとんど疑われることなく通交しているということができよう。
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