美の必然性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 07:45 UTC 版)
「シモーヌ・ヴェイユ (哲学者)」の記事における「美の必然性」の解説
ヴェイユは美を重視し、それは神や真理へ至るためのほとんど唯一の道であるとしている。したがって彼女の美に対する洞察はその思想の核心に近づいたものといえる。美を愛することは魂の自然な本性に備わっているから、だれでも美には惹きつけられる。もちろん、何を美しいと思い、愛するかには個人差がある。金を愛する守銭奴もいれば、権力を愛するものもいる。ヴェイユは享楽への愛を否定する。贅沢は高慢であり、己を高めようとすることである。彼女の言う美や愛とはそのような対象への支配と逆の、自己否定である。真に美しいものとはそれがそのままであってほしいものである。それに何かを付け加えたり減らしたいとは思わない完全性、それが「なぜ」そのようにあるのかという説明を要せず、それがそのままで目的としてあるもの。「美は常に約束するけれど、決して何ものをも与えようとはしない。」という彼女の言葉はそのことを表している。美は何かの手段とならず、それ自身しか与えない。 人は美に面したとき、それを眺め、それ自身の内なる必然性を愛する。そして必然性を愛するということは、対象への自己の支配力を否定することである。自己を拡張しようという欲求は対象を食べてみずからの内に取り込もうとするが、美は距離を置いて見つめる対象でしかない。それを変化させたり所有することは汚すことである。美の前で人は飢えながらも隔たりをもってそれを見つめ、そのままで存在してほしいと願う。
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