統語論的な冗語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 20:16 UTC 版)
統語論的な冗語は、文法が任意の機能語を作るときに生まれる。 I know that you are coming.(私は君が来たのを知っている) I know you are coming.(同上) 接続詞「that」を動詞句「you are coming」につけるかどうかは任意である。両方とも文法的には正しいが、「that」という語はこの場合、冗語と見なされる。 日本語やスペイン語など、主語代名詞の省略が許される空主語言語(Null subject language)では、主語代名詞について同じことが起きる。 僕は君を愛している。 君を愛している。 主語代名詞「僕」は文法的には任意であるから、「僕は」は冗語と言える。(ただし、口調や意図は同じではないかも知れない。これは文法よりも語用論の領域である)。こうした代名詞を省略するプロセスはスペイン語のように主語と動詞に人称の一致のある言語ではしばしば見られ、pro脱落言語(Pro-drop language)と呼ばれる。他にも、ポルトガル語、一部のスラヴ語派、ラーオ語で起こる。英語でも、夫が「Love you」と言い、妻が「Love you too」と答えるような、くだけた会話では代名詞の省略が起こる。 フランス語の(否定の意を持たない虚辞の)「ne」も口語では省略されても差し支えないので冗語と言える。 Je crains qu'il ne pleuve.(雨が降るのではないかと心配している。) Je crains qu'il' pleuve.(雨が降ることを心配している。) ロバート・サウス(Robert South)が冗語について「聖書ではありふれた技法、1つの重要なことを示す表現の多様性」と述べた背景には、聖書ヘブライ語詩の中には概念を異なる言葉で反復する傾向があり、また、書き言葉の聖書ヘブライ語は書き言葉の比較的初期の形式で、多数の冗語を用いた口誦形式を使って書かれているという事実があった。とくに、『詩篇』の多くの詩は対句になっており、おのおのが違う言葉でほとんど同じことを言っている(パラレリズム参照)。
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